罪の記憶


 今朝の新聞を見ると、今年亡くなった有名人の記録が載っていた。掲載されていたのは71人、「惜別」のタイトルがついている。ああ、この人も亡くなったのか、と過去の元気だったときの声や姿がよみがえり、しみじみ追慕の気持ちがにじみでる。
 人生の年の暮れ、自分の心の中の、過去の記憶もよみがえる。その記憶のなかでも、「我が罪」の記憶の確かさに驚く。人を傷つけたと思う言動、それはしっかりと残っている。消えることがない。子ども時代から今に至るまでの記憶で、あの時のあの行為は間違った行為だったと、一つひとつの明晰な記憶がよみがえるたびに、ゾクッと寒気がして体が硬直することもある。その記憶の衝撃によって、PTSDになる人もいる。ぼくの記憶はPTSDになることはなかったけれど、記憶の中にはギリギリと心を突き刺す痛みを伴うものがある。強い「自責の念」である。人間の心は記憶を峻別し、忘れていく記憶と、一人ひとりの心の中に残す罪の記憶がある。
 個人の記憶とは別に、国家や集団の記憶がある。社会や国家、集団の犯した罪の記憶である。ところがその種の記憶は、時代の移り変わりによって人の意識から放散してしまうことがある。国家の操作によってそれを行なった、社会や集団の共同意識が自分に行なわせた、そう思うことによって記憶も自責の念も薄れ、罪の行為に無責任になる。しかし人類にとって集団の記憶は決定的に重要なのだ。どのような社会をつくるのか、どのような国家をつくるのか、どのような世界をつくるのか、この大テーマに迫るために、集団の罪の記憶は忘れてはならない。記憶を消失させず、歴史を厳粛に学び認識する必要がある。
 慰安婦の問題が日韓の重要な懸案事項としてあり、今朝の新聞で、その対立の解決に向けて両国首脳の歩み寄りがあったことを報じていた。慰安婦の問題は、70年以上前の戦時の記憶だが、その記憶が現代の国家の問題につづいている。過去の罪が現代につづいている。中東の現代の紛争も、さかのぼる過去に問題の根源的な罪があるが、過去の記憶を棚上げして現代の問題を解決しようとするから解決が困難になる。
 日韓の問題の原点は1910年の韓国併合だった。そこから日本人の意識形成が起こった。植民地朝鮮の統治が、日本と朝鮮半島の人びとの意識に、それぞれ別個の影響を残していった。日本人の統治者意識と韓国人の被支配者意識が積み重なり、差別意識が生じた。そして15年戦争に突入していく。
 軍のつくった慰安婦の存在は韓国朝鮮をはじめとしてアジア各国の女性に被害を残した。今に至る慰安婦の心と体に刻み込まれた被害、それは日本国家の罪として残る。兵士の欲望を満たすためのそれは、国家の罪であると同時に、日本国民の意識の罪であった。
 日本と韓国の政治解決はこれから進展するだろう。けれど個人の、とりわけ元慰安婦とされた女性の、精神の記憶は消すことはできない。そしてその痛みを共有する韓国民の記憶も消せない。さらにまた過去の罪を未来に生かそうとする日本人の記憶も消すことはできない。それを消すことができなくても、その罪を認めて、痛みを共有する社会が到来させることはできる。人間次第だ。
 少女像はそのままそこにあってもいい。少女は無言で語りかけてくるだろう。未来の人間への声を。日本が罪を認め、謙虚に謝罪することをしたとき、少女像のまなざしは変わる。そのとき日本大使館前に座り続ける少女像は、全人類に語りはじめるだろう。