明石で観たもの


明石公園の池

 初めて明石の街を自転車でぐるぐると走った。
 明石に住んでいる息子一家の孫たちに会うのが楽しみで、安曇野から明石まで列車で行った。
 土曜日は、上の孫の小学校での劇の発表会があり、それを観てから下の孫と校庭の遊具で遊んだ。
 午後、嫁の自転車を借りて、ひとり大蔵海岸から明石海峡や淡路島を眺めながら、海辺の道をすいすい走った。11月下旬というのに、春風のようなのどかな風が心地よい。白砂の浜が造られ、夏は海水浴もできる美しい浜が続いている。太公望たちが釣竿を垂れている。堀江健一郎が二回目に太平洋を横断したときに乗ったというビール樽を利用してつくったヨット、マーメイド二号が浜に展示されている。そのすぐ近くでフリーマーケットが開かれ、たくさんの人たちが集まってきていた。
 走れども走れども清潔な浜がつづき、どこにもゴミ一つ落ちていない。この完璧な管理と環境整備には感心した。
 明石公園に向かった。明石城跡を整備した歴史公園は、JR明石駅のすぐ前に堀を横たえて広がり、三層の白亜の櫓が石垣のうえに粛然とそびえている。入園はもちろん無料。中に入れば、豊かな樹林と、鴨たちの泳ぐ池、広大な敷地、そこに憩う市民の姿があった。芝生でサッカーボールを蹴っている男性たちがいる。中国服を着た女性たちがダンスをしている。犬を連れて散歩している人たちがいる。ゆったり時間が流れている。
 なんとまあ、野球場もある。陸上競技場もあるじゃないか。図書館もある。都市緑化植物園区域とされる樹木地帯。広大な池。宮本武蔵作とされる日本庭園。
 うっそうと茂るクスノキオダマキケヤキ、ヤマモモ、アメリデイゴ、様々な木がある。公園中央は森になっている。ソメイヨシノは約2000本、日本さくら名所100選に選ばれている。堀にはコブハクチョウやカモ、アオサギゴイサギカワセミが見られるという。冬にはユリカモメの群れが押し寄せる。
 探鳥会が開かれる。ヒドリガモマガモカルガモホシハジロコブハクチョウカイツブリアオサギコサギゴイサギ、カワウ、ユリカモメ、トビ、ハヤブサカワセミ、アトリ、ルリビタキヤマガラメジロシジュウカラカワラヒワエナガツグミシロハラキセキレイハクセキレイセグロセキレイアオジなど34種の野鳥が見られたと報告されている。
 翌日、孫たちとママと、四人で公園内を歩いた。一人の男性が近づいてきた。
「アンケート、お願いします」
 彼はいくつかの質問をした。公園の満足度を問うものであった。公園の管理状況の満足度、樹木の数や木陰の状態の満足度など、訪れた人がここにやってきて、よかったかどうかを尋ねるものが中心だった。公園はよく世話されていた。街のどまんなかに、これほどよく整備された公園が存在することと、自然公園に近づけようとしている市の姿勢に感心し、ぼくはアンケートにほぼ満足と答えた。
 明石市人口、292,186人。
    孫の小学校の校庭の碑。→
 1960年(昭和35)8月19日、市は次の宣言を行なっていた。
  「第二次世界大戦で、わが明石市民は、家を焼かれ肉親を失い、食糧にもこと欠く不幸悲惨な生活を送ってきた。これは、戦争という非人道的な行為の結果であり、私たちは、明石の街に二度とあの戦争の惨禍を招きたくないと念願している。しかしながら、今日、なお世界の動きは、核兵器の研究と生産がますます進み、原水爆という恐ろしい核兵器が競争的に製造・実験されつつあり、国際情勢もまた極度に緊張を加えつつあることは、まことに憂慮にたえない。恒久平和を念願する私たちは、このような行為に対して、大きな不安と疑いの念を抱いている。ここに明石市は、日本国憲法の平和精神に基づいて、全世界の人々と相携えて、永久平和確立のため、核兵器の製造貯蔵を禁止し、いかなる種類の核兵器基地の設置も認めない核非武装都市であることを宣言する。」
 1963年(昭和38年)3月7日には次の宣言を行なっていた。
 「全人類の危機に当たり、地上から戦争をなくし恒久平和を実現することは、われわれの悲願である。しかるに、現在世界の恒久平和を保障するものはない。よって明石市は、平和保障の主体となるべき世界連邦建設の趣旨に賛同し、広く相携えて人類永遠の平和確立と福祉の増進に努力する。」

 宣言に註がある。「世界連邦とは、国際連合(国連)を強化し、世界を連邦制にしようという考え方で、ノーベル賞受賞の世界的科学者、湯川秀樹博士やアインシュタイン博士らが提唱したものである。」