絶望しない精神 <2>


 フランクルは、また次の有名な言葉を残した。
「それでも人生にイエスと言う。」
 次の文脈にそれはある。
「人間のあらゆることにもかかわらず――困窮と死にもかかわらず、身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、また強制収容所の運命の下にあったとしても――人生にイエスと言うことができるのです。」
 この「それでも」という体験は、家族を奪われ、収容所での過酷な生活を強いられ、これほどまでに残酷になれる人間への嫌悪と絶望であった。しかし、どんなに絶望的な状況のなかにあっても、心理学者のフランクルは収容所の人間に、未来や未来の目的に目を向けさせた。フランクルはそれをトリックだと言う。自分自身の未来を信じることのできなかった人は収容所で滅亡していった。未来を失うとその人はより所を失い、内的に崩壊し、身体的にも転落していった。この危機は一人の人間に急激に起こった。
 フランクルはその典型的で劇的な事例を書いている。
 収容所の囚人代表だった人は、作曲家で脚本家であった。彼はある日、フランクルに自分の見た夢の話をした。その人が言うには、夢の中で声が聞こえ、知りたいことがあれば答えよう、と言う。そこで彼は、戦争はいつ終わるのかと聞いた。彼は収容所からいつ解放されるか、この苦悩がいつ終わるのかを知りたかった。フランクルは彼に聞いた。
「いつその夢を見たのか」
「1945年2月だ」
「夢の声は何と答えた?」
彼は小さな声でフランクルにささやいた。
「5月30日‥‥」
 彼は希望に満ちていた。彼はその夢の声が正しいだろうと確信していた。そうして月日が過ぎていった。ところが収容所に入ってくる戦線に関する情報によれば、5月中に解放される可能性はますます少なくなっていくようであった。5月29日、彼は突然高熱を発して倒れた。そして5月30日、予言に従えば、戦争と苦悩が「彼にとって終わる日」、彼はひどい譫妄状態に陥り、ついに意識を失った。5月31日、彼は死んだ。死因は発疹チフスだった。
 フランクルは書いている。
「勇気と落胆、希望と失望というような、人間の心情の状態と、有機体(人間)の抵抗力との間に、どんな緊密な連関があるかを知っている人は、失望と落胆へ急激に沈むことがどんなに致命的な効果を持ち得るかということを知っている。」
 信じていた解放の日が当たらなかったことが深刻な失望となり、それが潜伏していた発疹チフスへの抵抗力を急激に低下させた。未来を信じる意志が弛緩し、肉体が病魔に打倒されたのだった。
 続いてフランクルは収容所の医長の話を紹介している。
 1944年のクリスマスと1945年の新年との間に、未だかつてなかったほどの死者が出た。医長によれば、その原因は、過酷な労働、悪化した栄養状態、悪天候や新たな伝染病などで説明できるものではなく、
「むしろこの大量死の原因は、囚人の多数が、クリスマスには家に帰れるだろうという、世間で行われる素朴な希望に身をゆだねた事実の中に求められる。クリスマスが近づいてくるのに収容所の通報は何ら明るい記事を載せないので、一般的な失望や落胆が囚人を打ち負かしてしまったのであり、囚人の抵抗力へのその危険な影響は当時のこの大量死亡の中にも示されている。」
 そしてフランクルは、ニーチェの言葉を引く。
「なぜ生きるのかを知っているものは、ほとんどあらゆる如何に生きるか、に耐えるのだ。」
と、次のように言う。
「収容所生活のすさまじさに、内的に抵抗に身を維持するためには、機会がある限り、囚人に、生きるための『何故』を、すなわち生活目的を意識せしめねばならないのである。」
 それに対して、目的目標を認めない人は倒れていった。
「『私はもはや人生から期待すべき何ものも持っていない』、これに対して人はいかに答えるべきであろうか」
 フランクルのこの自問から出てきたのが、
「人生にわれわれが期待するのではなく、人生はわれわれから何を期待しているかを問うことである」であった。
「人間は苦悩に満ちた運命とともに、この世界でただ一人一回だけ立っているという意識にまで達せねばならないのである。何人も、彼から苦悩を取り去ることことはできないのである。何人も彼の代わりに苦悩を苦しみぬくことはできないのである。まさにその運命に当たった彼自身がこの苦悩を担うということのなかに、独自な業績に対するただ一度の可能性が存在するのである。」
 このような考え方がフランクルたちを救う唯一の方法だった。助かるためのいかなる方法もない時、絶望しない唯一の思想だったのだ。だから彼は苦悩を課題としてとらえ、その意味を問うた。「苦悩もわれわれの業績であるという性質をもっている」と。
 フランクルは収容所の中で、人生に何も期待できないと絶望して自殺を企てる二人の囚人を救ったこともあった。
「二人に対して、人生は彼らからまだあるものを期待しているということ、すなわち人生におけるあるものが、未来において彼らを待っている、ということを示すのに私は成功したのであった。」
 一人の人は、深く愛する子どもが外国で待っていた、もう一人は、科学者としての仕事の完結が待っていた。
「待っている仕事、待っている愛する人、その責任を意識した人は、彼の命を放棄することが決してできないのである。」