田淵一家が安曇野に疎開したのは、1945年(昭和20)7月、当時の西穂高村の、農家の蚕室だった。娘と息子は地元の女学校と中学校に転校する。そのころの安曇野を田淵がこう書いている。 「野道を歩いても、草むらに踏みこんでも、疎林に立ち寄っても、粗野で…
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