戦争と平和

「マーシャル諸島 核の世紀」 

「マーシャル諸島 核の世紀 1914~2004」(上下巻)は、膨大な歴史の記録だ。著者は、フォトジャーナリストの豊崎博光氏。 2005年の出版だが、雲行き怪しい現代、多くの人に知られねばならない記録が多く収録されている。 その一部をここに要約する。 マーシ…

子どもの命を奪う戦争

子どもにとって戦争は、逃れようのない恐ろしい苦痛、恐怖、悲嘆の世界である。 第二次世界大戦の末期、満蒙開拓団の「満州」からの逃避行、子どもは邪魔になる、危険だと、命を奪われたり、捨てられたりすることがあった。沖縄戦でも同じようなことがあった…

核兵器使用の危機 2

次に、アメリカの核実験がもたらした被害はどうだったか。 第二次世界大戦が起きると、アメリカは原爆をつくるマンハッタン計画を急いだ。「ドイツも原爆をつくろうとしている、それよりも早く原爆を作れ」、アメリカはイギリスと研究を共にし、その結果、ワ…

核兵器使用の危機

プーチンが、核兵器の使用をにおわせてきたということは、その使用があり得るということである。 1999年、20世紀最後の年に、読売新聞社は「20世紀 どんな時代であったのか 戦争偏・日本の戦争」という書を出版した。そこにソ連時代の核兵器開発とその後の歴…

日本敗戦 「昭和万葉集」8月15日

1945年8月15日 日本敗戦 今日、「終戦記念日」、正午に全国戦没者追悼式が日本武道館で行われた。 かの日、天皇の放送によって、人々は敗戦をどのように理解し、思い、感じただろうか。かつて講談社が出版した「昭和万葉集」には、その日の想いを伝える歌が…

終戦の日のこと

僕は青年の頃、串田孫一の山野の随想集をよく読んだ。 彼は30歳の頃、大学で教鞭をとっていて、東京大空襲に遭い、山形県新庄から一時間ばかり秋田の方に入った荒小屋という部落に移り住んだ。米軍の空襲は全国に及び、東北地方でも主要都市は空襲で焼けてい…

ヒロシマ原爆慰霊、平和式典に思う

今朝も暑い。午前4時頃起きて、畑の水やりをした。畑の作物も庭の木々も水を求めている。 午前8時、ヒロシマ原爆慰霊、平和式典のテレビ中継を見ながら、西南西の方角に黙とうをささげた。長年続けてきた行為だが、今朝は中継を観ながら感じるものがあった。…

「黒焦げの弁当」 8月6日

8月6日、カンカン照りの暑い日だった。私は国民学校二年生、大阪の南河内、祖父母の家に疎開して暮らしていた。その日、ぼくは家の裏に接する仲哀天皇陵の濠に入って、遊んでいた。原爆投下があったというニュースも知らなかった。 初めて広島の原爆資料館を…

崩壊する世界

ときどき新聞に載る、佐伯啓思「異論のススメ」。彼の論には読ませる力がある。かつてこんな文章があった。 「今日、西洋の思想や科学が作り出したグローバルな世界は、ほとんど絶望的なまでに限界に向けて突き進んでいる。新たな技術を次々開発し、経済成長…

井伏鱒二「黒い雨」から 3

「ぼくは揖斐町へ向かって線路伝いに歩いた。焼け跡に近づくにつれ、立ち上る火葬の煙が次第にまばらになっていた。枕木に落ちる自分の影を追いながら、ふと振り向くと、薄曇りの空に、鈍く光る太陽を白い一本の虹が横ざまに貫いていた。珍しい虹である。 顔…

井伏鱒二「黒い雨」から 2

‥‥‥ 矢須子が「おじさん」と叫んで、何かにつまずいて前のめりになった。煙が散るのを待って見ると、死んだ赤ん坊を抱きしめた死体であった。ぼくは先頭に立って、黒いものには細心の注意を払いながら進んだ。それでも何回か死人につまずいたり、熱いアスフ…

井伏鱒二「黒い雨」から  1

プーチンにはかなり深刻なものを感じる。核兵器の使用へのプーチンの言及がこれまであったが、彼は暴挙に走る危険性をもっているように感じる。 井伏鱒二著の「黒い雨」を若い人たちに読んでほしいと思う。「黒い雨」は、「ヒロシマ原爆」の悲惨を、詳細なデ…

住井すゑ「牛久沼のほとり」から  3

住井すゑ「牛久沼のほとり」は、元京都府知事を七期務めた蜷川虎三氏の、胸に迫る葬送を書いている。 1981年2月27日、蜷川氏は84歳で亡くなった。住井すゑはテレビで訃報を知り、胸がいっぱいになった。アナウンサーが伝えた。 「胸に憲法一冊を抱いて、柩…

住井すゑ「牛久沼のほとり」から

平和の鐘、堀金公園 住井すゑの随筆「牛久沼のほとり」に、「ざんこく」という一文がある。昭和19年、戦時中のことである。 タケちゃんは13歳、ポリオのために障害児になり、学校へは行けなかった。ある日、タケちゃんが「ウサギを飼いたい」と母に言った。…

沖縄『慰霊の日』に思う池澤夏樹

「沖縄『慰霊の日』に思う」(朝日新聞)、今朝のインタビュー記事は、池澤夏樹だった。久方ぶりの池澤の声が聞こえるようだ。記事の中にこんな文章があった。 「『ヤギと少年、洞窟の中へ』という絵本をきょう、出します。戦後まもなく、ある少年が飼っている…

予兆

戦争が廊下の奥に立っていた 渡辺白泉 この俳句に出会ったとき、戦慄が走った。俳句はぼくの心をとらえ、ぼくの心はしんしんとあの時代の闇に沈んでいくような気がした。 中国への侵略戦争が激化し、戦火が拡大していた。 昭和14年、白泉の家の薄暗い廊下の…

日本が戦争をしたことを知らない人

半藤一利さんが嘆いた、「日本が戦争をしたことを知らない人が、今の日本にはいっぱいいる」という言葉、それをどう理解したらいいか。ほんとうに知らないのだろうか。 アジア太平洋戦争の体験は今も日本人の記憶の中に残っているはず、高齢者には戦争体験者…

ヘルマン・ヘッセ ――危機の詩人

ヘルマン・ヘッセの生存中、何度も会いに行き、ヘッセ研究に生涯を打ち込んだ高橋健二は、1974年、「ヘルマン・ヘッセ ――危機の詩人」を著した。 「第二次世界大戦が起こる十余年前に、『次の戦争』を準備しつつある人間の精神錯乱を見抜いて、時代の狂気と…

半藤一利最期の書「戦争というもの」

歴史探偵と呼ばれた半藤一利さん、最期の書「戦争というもの」を2021年5月に出版、そして永眠、91歳だった。 彼の最期の著作、「戦争というもの」の序文にこんな一節がある。 「いまの日本では、日本がアメリカと3年8カ月にわたる大戦争をしたことを知らない…

ある逃亡兵の告白

「ある逃亡兵の告白」(丹野吉一 恒友出版 1989年)は、戦時期の日本軍を脱走し、生き抜いた記録物語である。 「1941年、戦争の気配がますます高まる時期に、海軍航空隊を逃亡し、日本最後の軍法会議に付されるまで、私の逃避行は三万キロ以上にも及んだ。幾…

内田樹の「街場の戦争論」

内田樹の「街場の戦争論」(ミシマ社)が出版されたのは2014年8月。本の副題は、「日本はなぜ『戦争のできる国』になろうとしているのか」だった。 この本の前置きに、次のようなことを書いている。9年前である。 「僕たちは今、二つの戦争の間にいるように…

モーツァルト

続・大木実の詩 地元の本屋さんで、レコードとCDのバーゲンをやっていた。たくさん並べられたそれらは、定価よりはるかに安い。ベートーヴェン全交響曲、モーツァルトのピアノコンチェルト10セット、ショパンのピアノ曲、すべてのCDはドイツやスイスの名演…

大木実の詩「海戦のあと」

大木実の詩に、「海戦のあと」という散文詩がある。彼は、太平洋戦争でアメリカ軍に撃沈された巨大戦艦「武蔵」の謎を詩に書いた。当時、日本海軍は、「大和」と「武蔵」、二隻の世界一の巨大戦艦を有していた。敗戦色濃き戦争末期、「武蔵」は1944年10月24…

小林多喜二のお母さんへ

「死刑囚」袴田さんの再審が確定した。 57年間、無罪への道は長かった。袴田さんは今、87歳。ほぼ一生が冤罪を訴える 裁判闘争だった。強力な助っ人はお姉さんだった。そして支援者だった。 かつて、壷井繁治という詩人がいた。彼は戦後すぐの1946年に「二月…

反戦の波は起きているか

中野重治に「兵隊について」という詩がある。その一部を掲載する。 兵隊について 見たか 賢そうな泣きつらを 背嚢形の汗を からだ中から革具の匂いのしてたあの兵隊を 気づいたか 君に何か言いかけようとしたのを 奴は言おうとしたのだ 見てくれおれを おれ…

詩人は危機の予兆を感得する

の 「現代詩集」のトップに掲載されていた「黒い歌」。楠田一郎という人の詩。 彼は何者なのか。 楠田は熊本市で、明治44年(1911年)に生まれた。すぐに一家は当時日本が領土として併合していた韓国の釜山に移住し、楠田は釜山で育った。昭和6年(1931年…

戦争

わが友、ランがいたとき その影 黒田三郎の詩(一部抜粋) 死の中にいると ぼくらは数でしかなかった 死はどこにでもあった 死があちこちにいる中で ぼくらは水を飲み 襟の汚れたシャツを着て 笑い声を立てたりしていた 死は異様なお客ではなく 仲の良い友人…

戦時下の精神状態

一昨日、数十人か数百人か、ロシアの若者が乱闘している映像を観た。ウクライナでも若者の集団のケンカが起きていたという。どこまでが事実なのか分からないが、事実だとすればこの現象は、いったい何なのか。若者の精神の状態が現れてきているような気がす…

歌集・小さな抵抗」(渡部良三)つづき

歌集・小さな抵抗」(渡部良三)つづき 息子が出征したあと、内村鑑三の無教会キリスト者だった良三の父は、思想犯として治安維持法違反の罪で逮捕され、住民からは米英のスパイだと家族は激しい差別と弾圧を受けていた。 1946年敗戦。渡部良三は生きて故郷…

詩の玉手箱 「コットさんの出てくる抒情詩」

コットさんの出てくる抒情詩 金子光晴 子どもも見ている 母も見ている けさ、湖水が初めて凍った 水はもう動かない 母は 水の上をすべってみたいという 子どももまねをして ちょっとそう思ってみる だが、子どもは寒がり屋 ‥‥‥ ――戦争は慢性病です コットさ…