半藤一利最期の書「戦争というもの」

 

    歴史探偵と呼ばれた半藤一利さん、最期の書「戦争というもの」を2021年5月に出版、そして永眠、91歳だった。

    彼の最期の著作、「戦争というもの」の序文にこんな一節がある。

 

    「いまの日本では、日本がアメリカと3年8カ月にわたる大戦争をしたことを知らない人がいっぱいいる。『どっちが勝った?』と私に尋ねた人さえいるのです。情けなくなります。」

 

    半藤一利が嘆く、日本の若者の歴史認識欠落、いったいどうなっているのだろう。学校ではどんな歴史教育が行われているのか。さらに半藤は、こんなことを書いている。

    「昭和史や太平洋戦争についてある程度の知識を持つ人は、6日のヒロシマ。9日のナガサキ、15日の天皇放送へとつづく意味がすぐ分かる。私はこの9日に、不法なる対日宣戦布告と同時に、ソ連軍の満州への怒涛のような侵攻があったことに唸った。」

 

    9日の早朝、157万のソ連兵がソ満国境を越えて、怒涛のように中国東北部に侵攻してきた。そしてその日の昼前、アメリカは二発目の原爆を長崎に投下した。

    満州の日本軍は敗走、残された満蒙開拓団は長い過酷な逃避行になり、膨大な人が死亡した。ロシア軍につかまった日本兵と開拓団の農民、58万人は捕虜となり、シベリアや中央アジアへ連行され、強制労働で酷使され、多くの人が死んで土となった。

    半藤さんは、この時の日本の政治指導者への怒りを書いている。

    「もう日本全土の都市という都市が焼け野原になり、戦争をこれ以上つづけることは、日本人すべてが玉砕し、国家の完全な滅亡しかない、そういう段階に追い詰められていたゆえの、溺れる者はワラをもつかむ、そのワラがソ連であった。

    その根拠は、1941年に締結した日ソ中立条約だった。条約の有効期間は5年間、1946年までとなっていた。日本政府、軍部は、満州との国境線へ膨大なソ連軍が増強されていることを知りながら、ソ連軍はナチス・ドイツとの戦いに多大な損害をうけているから、対日武力発動に踏み切る公算は小さいだろうと楽観していた。そしてソ連を仲介とする和平工作を企図し、それに全面的に頼っていた事実があるのだ。ソ連を仲介にして降伏条約の緩和による終戦への道は白昼夢だった。」

 

    そして日本政府は敗戦受諾。アジア太平洋戦争が終わった。

 

    「国際政治の非情さを知らない日本人、世界大戦の外側に脱け出て、中立国でありえた機会を逸して、アメリカと衝突し、日ソ中立条約を頼みの綱とし、ソ連仲介の和平に国家の運命をあずけた、もはや何をかいわんや。」

    半藤さんはこの書の最後に、墨書している。

 

 「戦争は国家を豹変させる。歴史を学ぶ意味はそこにある。」

 

    本の最後に、奥さんの末利子さんが、自己と夫の戦争体験をつづり、半藤一利永眠の日の、朝のエピソードを記している。

    夫は言った。

    「墨子を読みなさい。2500年前の中国の思想家だけど、あの時代に、戦争はしてはいけないと言ってるんだよ。偉いだろう。」