井伏鱒二「黒い雨」から 3

 

 

 「ぼくは揖斐町へ向かって線路伝いに歩いた。焼け跡に近づくにつれ、立ち上る火葬の煙が次第にまばらになっていた。枕木に落ちる自分の影を追いながら、ふと振り向くと、薄曇りの空に、鈍く光る太陽を白い一本の虹が横ざまに貫いていた。珍しい虹である。

 顔を洗いたくなったので、水田に沿う道に入ったが、どの田んぼにも水が無い。底の泥土のくぼみに、折り重なっているドジョウが、ほとんど骨だけになっていた。スズメも一羽、溝のほとりに死んでいた。翼の一部が焼け焦げて、臭気を出していたが、体を半分泥の中へ入れ、スリップした痕をつけている。爆発の瞬間、強い風圧で泥土にたたきつけられたものらしい。

 工場に着いて、白い虹を見たことを話した。すると工場長が、

『そうか、君も見たか。ぼくも二、二六事件の起こる前日に見た、白い虹だよ。』

と言った。白い虹は、太陽の真ん中を横に貫いていた。その日は、海が荒れていたのか、宮城の濠(皇居のほり)に、何百羽か何千羽かの都鳥が集まっていた。不思議なことだと思って見ていると、太陽を白い虹が横刺しにしていたそうだ。

 『悪いことの起きる前兆だ。』

『白虹、日を貫く』と言って兵乱の起きる天象だ、と。その翌日、二、二六事件が起きた。」

 

 そして、今、広島に原爆が投下され、つづいて長崎に原爆投下、そして八月十五日正午、天皇の無条件降伏の放送となった。

 

「放送はもう始まっていたが、聞こえてくるのは途切れ途切れの低い言葉だった。ぼくはその言葉の意味をたどろうとするかわりに、用水路に沿うて行ったり来たりして、また立ち止まったりしていた。この溝は底も石だたみになっている。流れは浅いが、透き通った水で清冽である。その流れの中をウナギの子が行列をつくって、いそいそとさかのぼっている。無数の小さなウナギの子の群れである。ぼくの田舎でピリコまたはタタンバリという体長三寸か四寸ぐらいの幼生である。

『やあ、のぼるのぼる。水の匂いがするようだ。』

 後から後から引き続き、数限りなくのぼっていた。このピリコは広島の川下からはるばるとさかのぼって来たものだろう。普通ウナギの子は、五月中旬ごろ海から川にさかのぼってくるが、川口から半里ぐらいのところでは、体がまだ柳の葉のように扁平で半透明である。漁師は、それをシラスウナギと言っている。ここではもう、ちゃんとしたウナギの姿になって、動きが流麗である。八月六日ごろはどのあたりを遡上していたことだろう。」