「マーシャル諸島 核の世紀」 

 

 

 

 「マーシャル諸島 核の世紀 1914~2004」(上下巻)は、膨大な歴史の記録だ。著者は、フォトジャーナリストの豊崎博光氏。

 2005年の出版だが、雲行き怪しい現代、多くの人に知られねばならない記録が多く収録されている。

 その一部をここに要約する。

 

 マーシャル諸島は、日本列島の東南、太平洋にある。第二次世界大戦後、アメリカが領有している。アメリカは、この島を1946年から1958年まで、原水爆の実験に使った。その回数67。死の灰は、マーシャル諸島全域を放射能で汚染した。島民は実験前に他の島に移住させられた。食糧、漁業、住居、環境などで、島民は苦難の日々を送った。核実験の日、日本の漁船、第五福竜丸死の灰を浴び、漁民23人が被曝、久保山愛吉さんが死亡した。

 一方ソ連は、核兵器の情報を、アメリカに要員を潜入させて獲得し、1949年、カザフのセミパラチンスクで原爆実験を成功させた。実験を観察したソ連の科学者は、次のように書いている。

 「この世のものとは思われない閃光、火球はどんどん広がり、色を変え、上方に突進した。衝撃波はすべての構造物を吹き飛ばし、火球は怒涛のように回転しながら上昇して、オレンジ色になり、黒い筋が幾本も現れた。実験用の犬たちやヤギたちは吹き飛ばされて焼死。放射能は大地を汚染した。」

 この時、死の灰は500キロ離れたアルタイ州に及んだ。

 ソ連の原爆は西側の脅威となり、西側諸国は北大西洋条約機構NATO)を結成し、アメリカのトルーマン大統領はさらに威力の強い水素爆弾開発を急いだ。

  この時、アメリカの12人の物理学者は、水爆開発に反対する声明を出した。

 「大統領に水爆生産を公然と要求した人々は、水爆の意味をほとんど理解していない。水爆は現在の原爆の1000倍の威力を発揮するだろう。世界の最大の都市も、ただ一発で破壊されてしまうだろう。水爆はもはや武器ではなく、人類を絶滅させてしまう手段である。これを使用することは一切の道義、キリスト教文明に背くものである。いずれソ連もまたこれを作り得るだろう。このような世界のあらゆる国に対する危険をつくることは、米ソ両国の重要な利益に反する。

 われわれは、この爆弾を決して最初に使わないことを宣言するよう要請する。もしこれをどうしても使わなければならない場合があるとすれば、それは我々、あるいは我々の同盟国がこの爆弾で攻撃されたときである。我々が水爆の生産を正当化する理由はただ一つしかありえない。それは使用を防ぐためである。」

 科学者のこの声明につづいて、アインシュタインが声明を出した。

 「核武装を通じて、国の安全を保障しようとする考えは、破滅的な幻想であります。このような幻想は、アメリカが最初の原爆をつくることに成功したという事実によって育まれたものであります。威嚇という幻想によって、われわれの願う安全保障が全人類にもたらせるはずでありました。しかし米ソ間の軍備拡張競争は、もともとは予防手段として考えられていましたが、もはやヒステリーじみたものとなりました。そして水爆は民衆の視野に登場しました。大統領は、おごそかに、水爆の製造発展促進を宣言しました。

 水爆を使えば、放射能で大気は毒され、地上の生きとし生けるものを抹殺することが可能になります。このような妖怪じみたものが強制的な勢いで進行しています。この袋小路から抜け出る道はないものでしょうか。

 一挙一動がことごとく将来の衝突を予想して行われる限り、平和の達成は不可能であります。我々のやらねばならないことは、不信と恐怖を無くすこと、暴力を放棄することです。その実現には拘束力をもつ世界政府が必要であり、各国がその実現に協力すると宣言することであります。」

 核兵器水素爆弾反対の声は世界に広がっていった。

 1950年、スウェーデンストックホルムで開かれた世界平和評議会の、「平和擁護世界大会」は、ストックホルムアピールを採択した。

  • 私たちは、人類に対する威嚇と大量殺戮の武器となる原子兵器の絶対禁止を、要求する。
  • 私たちは、この禁止を保障する厳重な国際管理の確立を要求する。
  • 私たちは、どんな国も今後最初に原子兵器を使用する政府は人類に対して犯罪行為を犯した戦争犯罪人として取り扱う。
  • 私たちは、全世界の良心である人々に対し、このアピールに署名するよう訴える。

 

 ストックホルムアピールに、その年の11月までに世界で5億人が署名した。