内田樹の「街場の戦争論」(ミシマ社)が出版されたのは2014年8月。本の副題は、「日本はなぜ『戦争のできる国』になろうとしているのか」だった。
この本の前置きに、次のようなことを書いている。9年前である。
「僕たちは今、二つの戦争の間にいるように思われる。前の、負けた戦争と、これから起きる、次の戦争との間にいる。今は戦争間期ではないか。今の時代の空気は、戦争間期に固有のものではないか。
前の戦争に、日本はどうしてあんな負け方をしたのか、そして敗戦を日本人は戦後70年かけてどう総括したのか。ぼくは毎日戦争のことばかり考えている。
前の戦争のことをもっと知りたいと思ったのは、次の戦争が接近していることを肌で感じるからだ。」
内田がそう感じた年から8年後、ロシアのウクライナ侵略が始まった。それが世界中に何らかの影響を与えており、今、世界中に不穏な動きが現れ、非常に危険な予感が漂っている。
内田が注目したのは、吉田満の書いた「戦艦大和ノ最期」だった。吉田は「大和」に乗船していた士官だった。吉田満は戦後32年を経て、次のようなことを述べている。
「戦争が終わった時、大事なことが欠けていた。それをそのまま何も手をつけずに戦後の日本はどんどん発展してきた。欠落していたというものは、やっぱりいつかは必ずもう一度問い直さなければならない時が来るんじゃないか。それは、戦中から戦後にかけて、日本人が苦しんだということ、何のために、何を願って苦しんだのかということ、あの時、終戦の混乱のなかで全部捨てられたが、日本人は世界の中でどう生きるのか、どんな役割を果たそうとするのか。それは棚上げされてしまった。それは重大な欠落であった。」
その欠落が今も続いている。
内田は「たぶんろくでもないことが起こるだろう。覚悟しておく方がいい」と言う。
「非常時対応能力を育成する教育プログラムは今の日本には存在しない。今の日本ではすべての制度が劣化しており、制度が瓦解した時対処できる人材育成というものを誰も考えていない。 」