ヘルマン・ヘッセ ――危機の詩人

 

 

    ヘルマン・ヘッセの生存中、何度も会いに行き、ヘッセ研究に生涯を打ち込んだ高橋健二は、1974年、「ヘルマン・ヘッセ ――危機の詩人」を著した。

    「第二次世界大戦が起こる十余年前に、『次の戦争』を準備しつつある人間の精神錯乱を見抜いて、時代の狂気と病患を、回避したり美化したりせず、それをえぐり出すことによって、それを克服しようとした。それは暗黒にとざされた霊の世界に飛び込み、混沌に果敢に立ち向かい、邪悪を最後まで悩みぬこうとする、地獄の遍歴を意味している。」

 

    クリスマスに、ヘッセは訴えた。

 

    イエスの教えも、老子の教えも、ブッダの教えも、ゲーテの教えも、永遠に人間的なものかかわる点で同じだ。愛や美や聖なるものの本質は、自分自身のなかにある人間に立ちかえって、愛も幸福も『われわれの内部』にあることを悟れ。

 

     世界は戦争と不安に息つまろうと

     方々で

     誰の目にも止まらないが、ひそかに

     愛の火が燃え続けている

 

    しかしヘッセがロマン・ロランにあてた手紙には、痛々しい幻滅のひびきがあった。

    「政治的なことに愛を向けようとする試みは、失敗しました。ヨーロッパも、私にとってはなんの理想でもありません。人間が殺し合っている限り‥‥」

 

    幼年時代のヘッセは、草原に寝転ぶのが好きだった。家の裏には広い草原が遠くまで続いていた。無数の花が咲き、蝶が飛び、トカゲがヘッセの友だった。

 

    辻邦生は、書いていた。

    「旧制高校の頃、ヘッセはトーマス・マンと並んで私の隣にいた。雲や高原にあこがれて、信州に学んだ私の心を、郷愁の詩人ヘッセはとらえた。ヘッセは現代の精神的危機と取り組んだ真摯な思想家であり、人間の内奥にひそむ獣性と自由の可能性を追求する、厳しいアウトサイダーの道を歩いた。」