子どもの命を奪う戦争

 

 

    子どもにとって戦争は、逃れようのない恐ろしい苦痛、恐怖、悲嘆の世界である。

第二次世界大戦の末期、満蒙開拓団の「満州」からの逃避行、子どもは邪魔になる、危険だと、命を奪われたり、捨てられたりすることがあった。沖縄戦でも同じようなことがあった。親にとっては、耐えがたい慚愧の体験であり、その悲しみ、罪悪感は消えることがない。

    本土においても、親を失い、住む家、食べ物もない、病気やケガを治療してもらえない状態が深刻で、命を落とす子がいた。

 

 

    再び「昭和萬葉集」の終戦前後の巻から。

 

 

   苦しかりけむ いまはの時に その枕抱きて噛みて こらへき 汝(なれ)は

                         石丸恵守

   父なれば 人に隠れて 汝が頬(ほお)に 終(つい)の別れの口づけをする 

                         青木武夫

   泣きやみし妻は 乳をふふまする 入棺の子に ものを言ひつつ

                         茶山桜雄

   女児なれば お針道具も添へ入れぬ あはれ小さき寝棺の中に

                         谷本達雄

   異国(ことくに)の赤き土中に子を埋め 還(かえ)らむとする母泣き叫ぶ

                (満州からの引き上げ)玉虫寛

   子の遺体沈めて 標識めぐりては 船進みゆく 汽笛のこして

                (引き揚げ船の中で) 宮前あい

   牡丹江(ぼたんこう)の河に棄てたる幼な子の 溺るるさまを 君泣きて言ふ

                         中川尚志