ある逃亡兵の告白

 

 「ある逃亡兵の告白」(丹野吉一 恒友出版 1989年)は、戦時期の日本軍を脱走し、生き抜いた記録物語である。

 

 「1941年、戦争の気配がますます高まる時期に、海軍航空隊を逃亡し、日本最後の軍法会議に付されるまで、私の逃避行は三万キロ以上にも及んだ。幾度か逮捕され、また脱獄した。

 軍隊という組織の中で自由を奪われ、不当なリンチと暴力によって骨折の重傷も受け、事態を回避するためには、逃亡するしかなかった。

 私は心から平和を愛し、誰よりも軍隊や戦争を嫌った。戦時は、多くの文化人や作家たちは真実を言えない時代であったが、戦争の激化によって彼らも皆軍国政府に同調するようになってしまった。

 私は思う。これらの人たちが、真実をもっとはっきり国民に知らせることができ、国民が団結して軍国主義政府に立ち向かうことができていたなら、あの悲惨な結末はなかっただろう。」

 

 丹野吉一に海軍への入営通知が来たのは、昭和14年(1939年)だった。彼は新婚三カ月、22歳だった。横須賀海兵団に入隊、新兵は連日のように過酷な教練とリンチがくわえられた。間もなく、身重だった妻の危篤を知らせる電報が届いた。だが、一時帰宅は許されず、妻は死んだ。野辺の送りも許されず、丹野は横浜航空隊に配属、飛行機の整備を命じられる。ある日、丹野は上官から歩けなくなるほど殴打を受けた。

 「貴様が整備した航空機が悪いから、オレたちが苦労してるんだ、わかったか。」

 丹野は怒り心頭に発したが、ただただ黙っているしかなかった。

 その後丹野の部隊は南洋のトラック島に向かい、その後日本に帰ってきたときに軍隊を拒否し、脱走生活に入った。

 「人は一生のうちに、いくつかの物語を書くことができるだろう。だが私のような者の書く物語はいったいどう表せばいいのか。逃亡兵という数奇で救いのない道は、どこが上がりになるのだろう。」

 彼は満州にとび、抗日秘密結社に入って活動した。終戦直前についに奉天で逮捕され、軍法会議で有罪の判決を受ける。そして列車で満州から朝鮮へ移送されるとき、同じ車両のなかに潜んでいる抗日の同志、李長春を見つけた。彼は秘密裏に高野を見守っていた。高野は李へ、ひそかに別れの合図を送る。

 「さようなら、李長春。おたがいこれからが正念場だ。君たちには祖国がある。どうか強く進んでくれ。あの安重根のように。俺は負けない。必ず戻ってくる。その時は、日本人、朝鮮人、中国人の力を合わせて、平和で幸せな社会をつくるのだ。がんばろう。」