住井すゑ「牛久沼のほとり」から

                         平和の鐘、堀金公園

 

 

 住井すゑの随筆「牛久沼のほとり」に、「ざんこく」という一文がある。昭和19年、戦時中のことである。

 タケちゃんは13歳、ポリオのために障害児になり、学校へは行けなかった。ある日、タケちゃんが「ウサギを飼いたい」と母に言った。タケちゃんの母はそれを受けて、子ウサギを用意してくれた。タケちゃんは、ウサギを育ててお金をもうけようと考えていたのだった。タケちゃんは毎日母が用意してくれた野菜をウサギに与えた。

    住井すゑの友人である大学病院の医師が、旅の途中に住井すゑのもとにやって来た。そこでタケちゃんの診断をしてもらった。診断では、あと10年だという。タケちゃんの親は落胆した。

 そこへもって新たな難事がやってきた。タケちゃんの徴兵検査だった。タケちゃんの身体では当然「徴兵免除」になるはずだが、それには検査場で直接検査を受けてからだという。

 タケちゃんの母は、リヤカーにタケちゃんを乗せて自転車をこぎ、徴兵検査を受けに行った。住井すゑは、そのところをこのように書いている。

 

 「徴兵検査場になっている学校までは10キロ、母親は、『タケよ、タケよ』と、リヤカーにうずくまる子を案じ続けたに違いない。街の中では人目を恥じて、うなだれたりしただろう。徴兵検査官には、非国民のように扱われ、泣くに泣けぬ思いをしたかもしれぬ。なぜに検査場に出頭させる必要があったのか。

 タケちゃんはそれから4年目に死んだ。タケちゃんの母も死んでもう3年になる。

 私は日ごろ、改憲とか国防とかと聞くたびに、母親のリヤカーに乗って徴兵検査場に向かったタケちゃんの後姿を思い出す。もう二度とあんな残酷を繰り返すものかと、髪を逆立てている。

 昭和53年9月18日。『朝日歌壇』に、私は友を見つけた。友の名は石井百代。

 

   徴兵は命かけても はばむべし

   母 祖母 おみな(女) 牢に満つるとも