核兵器使用の危機 2

 

 次に、アメリカの核実験がもたらした被害はどうだったか。

 第二次世界大戦が起きると、アメリカは原爆をつくるマンハッタン計画を急いだ。「ドイツも原爆をつくろうとしている、それよりも早く原爆を作れ」、アメリカはイギリスと研究を共にし、その結果、ワシントン州パンフォード核施設周辺で5万人以上が被曝、さらにネバダ州の先住民、ネイティブアメリカンの居住区でも実験、そこでは17万人が被曝した。1945年7月、ニューメキシコ州アラモゴードで、史上初の実験に成功、ただちにヒロシマナガサキへの投下となった。

 1946年7月、原爆実験は、アメリカ領になった太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁でも行われ、この時、現地の島民500人以上が被曝した。1954年3月には、水素爆弾実験が行われ、ロンゲラップ環礁の住民とともに、その近海で操業していた日本の漁船「第五福竜丸」が死の灰を浴び、乗組員23人が被曝、久保山愛吉さんが原爆症で死亡した。水爆実験はエニウェトク環礁と合わせて南太平洋での実験は60回以上行われた。

 

 中国はウイグル自治区で核実験を繰り返し、被爆者を出している。正確な数字は分からないが、60万人とも推測されている。

 モンテベロ諸島は、インド洋東部、オーストラリア北西にある。1950年代に、イギリスによる複数回の核実験が行われており、残留放射能のため、一部地域では立ち入り時間に制限が設けられている。イギリスとオーストラリアとの実験は、オーストラリア先住民アボリジニの住む地域でも行われ、15000人が被曝したようだ。フランスはポリネシアで核実験を行っている。