ボリビアに画くサトコの夢

 コーラスの練習が昨夜あり、この機会にとNPO法人DIFARの「ボリビア・カレンダー」をもっていった。公民館に集まったのは15人、17日の日曜日、地区の「高齢者お楽しみ会」でひととき合唱を楽しんでもらうその歌の練習である。「県歌 信濃の国」で始まり、地元の小学校校歌で終わる、途中に震災復興支援の歌「花は咲く」など数曲が入る。
 合唱練習が終わってお茶をみんなで飲む団欒タイムに、サトコたちの活動を紹介させてもらい、活動支援のためのカレンダー購入を呼びかけた。ぼくの説明が終わると、たちまち11人が購入してくれた。地理の上でも意識の上でも遠いボリビアと、そこで10年以上活動を続け、これからも継続していこうとしているサトコとそれを支援している活動を少し知ってもらうことができた。カレンダーにボリビアの山野や原住民の風俗、動物リャマ、祭りなどが入っているのが好評で、孫にプレゼントしたいとおっしゃる人もいた。
 ボリビアの話をする前に、世界地図を広げてみた。もう一度ボリビアの位置を確認しよう。北米・南米ともに、まだ一度も行ったことがない。とりわけ中米の国が寄り添っている辺りは、国の位置関係も定かに認識できていない。8年前、奈良県御所市の学校や公民館で英語を教えていたジミーは、サンダルをぺたぺた音立てて我が家に何度か来たことがあったが、彼はニュージーランとジャマイカの二つの国籍を持っていて、ジャマイカの話をよくしてくれた。そのときまでジャマイカはどこにあるのか知らなかった。世界地図を開いて調べてみると、キューバの南側の島だった。その周辺にいくつもの国がひしめいている。
 サトコが青年海外協力隊ボリビアに派遣されたとき、地図で見てみるとボリビアはブラジルの隣の国だった。けれども、そういう浅い認識はすぐに頭の中でぼやけてしまった。今回また地図を広げてみて、なるほどと思ったことが二つあった。
 南米大陸の真ん中に巨大なブラジルがどかんと座っている。3年前、高校で教えていたブラジル人生徒が本意ならず家族の問題で学校を退学して帰国したその国。そのブラジルの北部にアマゾン盆地があり、アマゾン川がいくつもの支流にわかれ、大地の毛細血管のように広がっている。ボリビアはその南にあって、アマゾンの支流が数本入り込み、アンデス山脈や高地の水を集めて流れ下っている。ボリビア国の面積の約4割は山岳地帯だ。巨大なアンデス山脈と小規模な山脈とが国の南西部を占めている。高山は6402mのイリマニ山に6542mのサハマ山がある。その近くにチチカカ湖があった。チチカカ湖は半分がペルー領、半分がボリビア領になっていた。
 ぼくが小学生から中学生にかけてのころ、少年雑誌「少年クラブ」に、南洋一郎の「緑のピラミッド」というタイトルの小説が連載されていた。舞台はアマゾン、血湧き肉躍る冒険譚で、毎月の発行日が待ち遠しかった。そこに登場したマトグロッソという地名はおどろおどろしく、恐るべき秘境のイメージを植え付けた。物語によってかきたてられる想像力、本屋にその雑誌が出る日、学校から帰ってくるなり飛んで行った。アマゾン地帯とマトグロッソは、ぼくにとっては今も少年の日の謎を秘めた土地である。
 しかしその後の開発の嵐は、アマゾン流域も大きく変えていった。サトコは今も、その源流あたりの「インディオ」の村で活躍している。親が林業家であったから、子どものときから山で暮らし、野生的な生活をしてきたことから、未知の世界へのチャレンジ精神と行動力は男に勝る旺盛なものがある。20歳で、青年海外協力隊を志願して、単身アンデスの山懐に入り込み、農業指導をきっかけにして社会を変革するプロジェクトを育てる存在にまで育った。
 サトコが街に出て歩いていると、「サトコ、サトコ」と住民から声がかかるという。サトコの夢から始まって、夫と結ばれ、子どもたちが生まれ、支援組織ができ、ボリビアの人びとへと、夢は大きく広がっている。そのテーマは、環境、福祉、健康、教育、農業、そして、彼女の掲げるミッションは、「すべての人が、力強く生き生きと暮らせる社会づくり」である。