ベトナム、中国、パラグアイの若者たち


雪が近づいているから、野沢菜を採りにおいで、と巌さんから電話があった。家内が明日までいないから、水曜日にいただきに行きますと、電話を切ったら、1時間ほどして、キンコンとチャイムが鳴り、巌さんが現れた。
野沢菜、持ってきた」
「ひえーっ、もう収穫して持ってきてくれたんですか」
「雪がすぐに来るだ。雪が積もると採るのが大変になるだ。10キロばかり持ってきた。これ、かあちゃんのレシピ」
メモ紙に、奥さんのおいしい野沢菜の漬け方が書いてある。軽トラックに積まれた二つの大きな野沢菜の束はよく育っていて、きれいに根っこを切り取り、洗ってあった。巌さんのきちょうめんな丁寧な性格が現れている。
「うちは、もう漬けたからね。おいしく漬かったのを、今度持ってくるよ。これから野沢菜漬けるの、少し遅いね」
寒い日だから、野良着姿の巌さんの体は冷えて、鼻汁が出ている。
申し訳ない、野沢菜の大きな束をありがたくちょうだいして、あさってまでガレージの奥に入れた。雪が近づいているというけれど、まだ二、三日大丈夫だろう。まずは、車のタイヤを交換しようと、軽自動車のタイヤを冬タイヤに換えることにした。ジャッキで車輪を持ち上げ、ノーマルタイヤをはずしてスタッドレスに換えるのは、少し力の要る作業だ。暗くなりかけたころ、タイヤ交換は終了した。
夜は日曜日の日本語教室だから、早い目の食事を作る。ひょっと外を見ると、薄暗くなった空から雪が降ってきている。巌さんの言ったとおりだ。こんなに早いとは思わなかった。夕飯をひとりで食べ、車に乗ろうとすると、フロントガラスにはもう白く積もっている。日本語教室へ自転車で来る生徒たちは大丈夫かなと案じながら、公民館に行く。
暖房のきいた温かい教室には、3人の中国人女性が既に来ていて、その後にベトナム人の男子、トー君とハップ君が来た。3人の女性は先週日本語能力検定試験を受けた。1級を受けた2人に試験のできを聞くと、まったく聴解ができなかったと、結果に自信がないらしい。そこで会話のフリー練習をすることにした。そこへ現れたのは、先週から来ている南米パラグアイの青年だった。11歳のときに日本に来て、今は19歳、コンビニで働きながら夜間の高校に通っている。父方の祖父母は、日本人の農業移民だった。だからパラグアイの現地語とスペイン語と、そして日本語がかなりの程度話せる。地元の定時制高校で日本語を勉強し、将来は日本に永住してマッサージ師の資格を取りたいと言う。もの静かな心優しい若者だった。
雪降る今夜の教室はみんなでフリーの談話。ベトナムのトー君がベトナムのインスタントコーヒーを持ってきていて、全員に入れてくれた。甘くおいしい、温かいコーヒーだった。
チンさんは中国南部の出身で、雪を見たのが初めて、ベトナムの二人も初めてで、しばらく雪の話題になった。
「わたし、傘さしてきました。おかしいですか」
「雪が降っていたら傘さしますよ。フードのある、水のしみこまない服装なら、傘はいりません」
チンさんは次々と質問をする。
ベトナムでは、家に炊飯器を5台も6台ももっていて、ご飯を5杯、6杯食べると、中国でテレビで見ました。」
えーっ、ほんとう? トーさん、ニコニコ笑いながら、
「わたしの家、炊飯器ありません。ご飯、いま3杯食べます。15歳のとき、6杯食べました」
ハップさんも、「わたしの家、ありません」
チンさん、腕を広げて、
ベトナムに、こんな果物ありますか」
ノートに、絵を描いて、小さな実がたくさんかたまっていて一つの実になっている、ドリアンじゃないと言う。チンさんは、実の一つ一つにとんがっているものが付いていると、身振り手振りで言うがうまく説明できない。
「とげ?」
と、だれかが言う。
とげがついてる果物? そんなのがあるのかい。
トー君、初めはなんのことやら分からなかったが、そういう大きな果物があると言い出し、辞書を引いたりハップ君と相談したりしていたが、それはベトナム語で「ミッ」だと断言した。「ミッ」とは何だ? みんなでわいわいやっていたら、だれかが調べて「ハラミツだ!」と、初めて聞く名前が飛び出した。
フリー会話はどんどん佳境に入り、笑いがはじけた。こんなに楽しい会話はひさしぶりだ。みんなは民族を超越して一つに融ける。人は笑うときや、優しい気持ちになるとき、顔の筋肉がほどけて柔らかくなる。怒りや不満や憎しみの感情があるとき、筋肉は硬直する。「楽しい」は「しあわせ」の同義語だとつくづく思う。
教室が終わって帰るとき、スペインから斉藤農園に農業研修生が来ていることを思い出した。そうだ、パラグアイのシュウ君に、紹介しよう。翌朝、シュウ君といっしょにそのスペイン人青年に会うことにした。
家に帰って、百科事典で調べると、ハラミツは梵語、その果物は桑科の植物で、パンの木の仲間、大きいのは60センチにもなる。とげだと言っていたのは、いぼ状の突起だった。梵語のparamita(仏教では波羅蜜)と知って、ぱっと頭にひらめいたのは、般若心経の出だし「ハンニャハラミタ」の言葉だった。パラミツは、理想を実現するための実践修行とあった。
明けて今朝、雪は10センチほど積もっていた。雪道をシュウ君が車でやってきた。彼は免許も取り、自分でタイヤも履き替えたという。一緒に斉藤農園に行った。農園に着くと、スペインからの青年は待ってくれていた。そば栽培とそば加工を勉強して、来年夏スぺインに帰るのだという。二人は、うれしそうにスペイン語で話す。なつかしさが二人を兄弟にした。