卒業式の前日は、いつもと違う空気が流れている。
講堂にはたくさんの椅子が整然と並び、
演壇に旗が立ち、送る言葉が壁に貼られ、
校内は清められ、
生徒たちが下校してだれもいない学校には、
哀感と喜び、安堵感といくらかの緊張感が、静かにたゆたっている。
卒業式の前日は、いつもと違う空気が流れている。
子どもたちを送り出してきた、たくさんの三月、
そのときにも流れていた、さわやかな甘美と寂寥。
冷たさのなかに温かさを含んだ三月の空気は、
生徒たちのこれから行く道への希望と不安に充たされている。
自分の書いた落書きを消した子がいた。
いたずらをして壊したベンチを修理した子がいた。
日本のすべての学校で、学校というものがこの世に生まれたときから、
卒業前日には、特別な空気が流れていた。
今年も流れている。
それから今日、ぼくは図書館で一冊の詩集を借りた。
大震災後に出版された本の、一つの詩が心にしみた。
手紙の木 長田弘
生涯に、木を四本植えたと、男は言った。
幼い日に、街の通りに街路樹のための木を。
そして、クヌギの実をいくつか、空き地に埋めた。故郷の街を離れる前に。
あと二本は、黙って世を去ったものらのために。
一本は、長く生きて静かに死んだ猫のために。
けれども、故郷の街は再開発され、空き地は消え、
なつかしいものらのために木を植えた場所は芝生の公園になって、どの木ももうのこっていない。
文明とは何だろう。木を伐り倒すのが文明なのだ。
それでも、と男は言った。
人は木を植える。木は手紙だからだ。
すべての木は、誰かが遺していった手紙の木なのだ。
こういうふうに生きたという、一人の人間の記憶がそこに遺されている、物言わぬ手紙の木。
その冬の夜に、男は逝った。
死んだ男が遺していった見えない木。
人のこころのなかにそだつ言葉の木。