リービ英雄の見たアメリカ、そしてオバマ



リービ英雄は、アメリカで生まれ、少年時代を台湾、香港で暮らし、17歳のときに日本に来た。その後、アメリカの大学を出て、大学の日本文学教授となり、日本に定住し、日本語による作家活動を行なっている。
リービ英雄万葉集を読んで感動し、大和の地を歩いた。リービ英雄の心に万葉の歌の世界が静かに入ってきた。日本の古典は日本人でないと解らないというのは間違いだと、リービ英雄の万葉を語る文章や語りに触れたとき、ぼくは思った。
2009年、オバマが大統領に就任したときのことを、リービ英雄は書いている。
1980年、リービ英雄が教授をしていたとき、プリンストン大学にミシェル・ロビンソンという黒人の女子学生が入学した。リービとミシェルとは直接の出会いはなかった。大学は全寮制で、寮の部屋は二人相部屋。ミシェルのルームメイトは白人だった。入寮してまもなくのことだ。ルームメイトの母親から大学に苦情が入った。娘をプリンストン大学に入学させたのは、なにも黒い人と同じ部屋に住まわせるためではないという内容だったらしい。白人以外の学生が入学できるようになってから20年近くも経っていた。その後大学はどう対処し、二人はどうなったのかは書いていない。ミシェルは卒業論文で、黒人のアメリカにおける疎外感のことも書いた。このことを、後の大統領選で共和党の一部があげつらい、攻撃材料にした。なぜ共和党が攻撃材料に使ったのか。ミシェル・ロビンソンとは、オバマと結婚したミシェル・オバマであった。そしてリービはこう書いている。
「ミシェル・オバマが『ファースト・ファミリー』の聖母役としてホワイトハウス入りする前に、一年生のときのルームメイトとその母親が謝罪の言葉を送った。ミシェル・オバマがその謝罪の言葉をどのような気持ちで受け止めたかは、ぼくは知らない。」
オバマは大統領になった。その日、シカゴの黒人の老人が涙を流しながら言った。
「なぜ私の若いときに、こんなことができなかったのか」。
リービ英雄は、高校生のときに住んでいたバージニア州の白人労働者階級の地区を訪れる。その町には、黒人地区があった。そこは「アナザー カントリー」と言われていた。リービ英雄は、高校生だったから「アナザー カントリー」という言葉を知らなかった。「もう一つの国」、リービはそれを思い出す。
「日本でいつか聞いた、江戸時代の日本の都市の地図で、被差別部落が空白になっていた」という話に、どこか似た感覚が、「アナザー カントリー」の記憶から浮かんでくる。リービが住んでいたときは、自分は「アナザー カントリー」と言われていた黒人地区の存在を意識すらしなかったと思うのだった。
オバマが大統領になってしばらくして、リービはワシントンの本屋で、オバマが書いた「父から与えられた夢」という本を立ち読みした。すると、「Miscegenation」という単語が出てきた。リービ英雄はその単語を「人種間性行為罪」と和訳した。違う人種と性行為すると犯罪になるという法律があったのだ。さすれば、オバマの父母は犯罪者となるわけだ。
リービは、別の写真集を見た。「FREEDOM」というタイトルのその写真集は、奴隷時代から現代までの、アフリカン・アメリカンの歴史を、400ページもの写真で示していた。
アラバマルイジアナのうっそうと繁った森の樹木に男が吊るされたリンチの写真。処刑されたあとの高校生たちの遺体。バラック・オバマを生み出したのと同じ『犯罪』のために、いや、おそらくは道端で通りすがりの白人の女に一瞬見とれてしまった、とか、行き違いの白人の女に腕が触れたとかいうほどのことで、次々と処刑された男たち。その前は、こうだった。長い間、こうだった。」
リービはまた、母の友人の話を思い出す。デパートで買い物をしたとき、レジに人が並んでいた。列のいちばん前に黒人の女性がいた。その女性がレジの白人店員に金を渡そうとした。すると店員は「有色人種には売らない」と大声で言った。それを見た母の友人は、「Why not?」と声を挙げた。「同じ客じゃないか」と。店員は答えた。「そんな人からお金を渡されると困る」と怒ったという。
リービは、オバマが大統領になってから、店々にCHANGEとHOPEの文字が目立つようになった街を歩きながら思う。
「被差別者よりも差別者の末裔たちのほうが、自国の歴史の暗部から『解放』されたと思っているかもしれない」と。
リンカーン奴隷解放宣言から140年も経って、オバマが大統領になった。
ワシントンのデパートで、白人以外には売らないという店員に抗議したリービの母の友人とは、誰だったか。
「母の友人の家族は、ジョージタウンのその坂道の住人の中ではただ一人、白人ではなかった。日系人だったのである。」
オバマが大統領に再選された。大統領としての手腕がとやかく言われるが、人の心にある「アナザー カントリー」を解き放つ、目に見えない仕事が存在することを思う。日本の総選挙、日本人は何を考えているのだろう。

「大陸へ アメリカと中国の現在を日本語で書く」(リービ英雄 岩波書店