組織なき一市民、湧いてくる強烈な想いがある



 人間だれでも、「これを実現したい」という強い欲求に駆られて動き出すことがある。夢・希望の実現に向けての行動であったり、自分の役割、義務の遂行であったりする。
 自分の人生を振り返れば、「これをやりたい」で、最も大きかったのは当然学校での教育活動であった。それはシステムのなかで自己を活かす活動であった。一方、組織内活動ではない、自己実現に向けてのプライベートな活動があった。青年期の自分のそれは山だった。原始の自然への没入を求めて山に入った。三十代からの熟年期は、ほとんど組織のなかでの自分の意志の発現であった。組織の中で自由を拡大し、理想を掲げて目的に向かう。仲間をつくり力を合わせた。プライベートに参加した活動といえば、平和運動や公害反対運動、反原発運動などの社会運動があった。個人の意志での自発的参加であったが、そこにも組織があり、組織のなかでのゆるやかな自己実現があった。
 学校という組織の次は共同体という組織に入って活動した。これまでできなかったことへのチャレンジだった。
 組織の存在は大きい。組織があってこそ、力が結集でき、自己の活動が成立し、そのなかで夢を描いて行動もできる。しかし組織には常に壁があった。組織や集団が個人を束縛する。

 13年前、ぼくはすべての組織から離れて、独りになった。念願の「森の学校・土の学校」をつくろうと大和の奥地に廃校を探し、夢を描いて活動した。が、夢は実現に至らず、しばし金剛山の麓の村に住んで「創造の森学舎」と名づけて畑を耕した。その2年後、中国の武漢大学に赴任し、そしてまた北京、青島へ、つづいて国内の団体で活動した。それは、日中技能者交流センターという組織によるボランティア活動だった。そして信州に来て、その組織とも別れを告げた。
 ここ数年、やはり強い衝動に駆られ、個人的行動に走ることがある。3・11震災から二ヵ月後に、市民が福島の子どもを受け入れようというホームステイが企画された。地域の学校に福島の子どもたちを受け入れるクラスをつくろうという長野県医師会の一医師から始まった活動で、ぼくも計画に賛同し地元地域で動いた。けれども、人脈なし地縁なし情報伝達手段なしの状態で運動は進まなかった。つづいてぼくは放射能から子どもを守る福島の親の願いに応えてキャンプ計画を立てた。だがそれは福島現地の状況もあって実現せず、それに代わって社会福祉協議会が組織の力で夏のキャンプを実現させてくれた。
 そのころ並行して個人の自由意志による市民運動が動いていた。「安曇野地球宿」を拠点にした「安曇野ひかりプロジェクト」だった。そのプロジェクトは、日常的に同志が集まって、一体感のある活動を生み出しながらさまざまな被災者の支援を実現させていった。きわめてユニークで注目すべき活動は今も継続されている。震災地への物資支援、被災地支援ボランティア、被災者の安曇野への移住、福島へ安曇野の野菜を贈る活動、地球宿での親子ステイ、親子保養キャンプなどである。今夏も、親子保養ステイを企画されている。ぼくもこの「ひかりプロジェクト」の子どもキャンプのボランティアメンバーである。プロジェクトは資金が足りない。資金調達が今の大きな課題になっている。JR駅前での募金活動はどうだろうかと考えもする。
ぼくの夢「樹木葬自然公園&子どもの森」づくりは、賛同者は生まれているが、実行同志がまだ生まれない。

 組織なき一市民、湧いてくる強烈な想いがある。やりたいことは山のようにある。実現したいことがつぎつぎ出てくる。しかし、実現に向かう道程は簡単ではない。行動には不十分さが歴然とある。やればやるほど困難がでてくる。
 同志が集まるか、知恵が寄せられるか、資金はあるか、時間はどうだ、いずれも困難。
 頭の中に課題が増える。ストレスが大きくなる。そのうちお前の命が尽きるぞという心の声が聞こえる。時が過ぎていく。
 今日は竹きりしかできなかった。
 のんびりやろうぜ。実現してもしなくてもいいではないか。やれることをやっていくだけだ。