レヴィナスの「困難な自由」という書がある。この本を内田樹が必読書として推薦している。こんな一節がある。
「あなた方がもし善行を施せば、ほうびを与え、悪事を働けば罰を与える、そのような勧善懲悪のロジックで動くシンプルな神をこれまで拝んでいたのだとすれば、それは幼児の信仰である。
人間が人間に対して犯した罪は、人間が償うしかない。
アウシュビッツは、人間が人間に対して犯した罪であり、責任はすべて人間にある。
天上的な介入がなされて、人間の犯した非道を神が正すということは、人間が幼児であると認めることである。
われわれがめざすのは、幼児の宗教ではなく、成人の宗教である。
もし造物主に、その名にふさわしいだけの威徳があるとすれば、それは『神の助力なしで、自力で地上に平和と秩序を築き得る被造物』を創造したことにある。それこそ創造の奇跡である。
神の助力なしに、地上に正義を実現できるほどに霊的に成熟した人間を創造されたこと以上に神の威大さを証明する事実があるだろうか。」
第二次世界大戦後、フランスのユダヤ教の共同体が危機に瀕した。レヴィナスを読んだ若者たちは戦後の虚無的な状況を脱して、再びユダヤ教に回帰し、ユダヤ人社会を瓦解から救った。
今訪日のローマ教皇の言葉には、これに通じるものを感じる。
神の助力なしに、地上に正義を実現できるほどに霊的に成熟した人間であるならば、世界の全生物を何十度も滅ぼすことの出来る核兵器を全廃することも、戦争を放棄することも、弱肉強食の社会を改変することも、地球環境を守ることもできるはずである。