「ベートーヴェンの希望の第九」

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 昨日、そのときの録画の再放送を観て、戦慄を覚えるほどに感動した。

 2011年3月、あの東日本大震災の渦中、原発爆発、放射能襲来、外国人は東京から脱出し、被災地の人々は各地へ避難していた。渦巻く恐怖と悲嘆、苦悩、怒り、絶望。その大混乱のなかにあって、4月10日、東京オペラの森コンサートで、ズービン・メータ指揮のNHK交響楽団による「希望の第九」の演奏があったのだ。

 カメラのとらえた指揮者の表情のただならぬもの、指揮者はインド人、三月の予定していた公演は3.11によって中止になり、絶望と混迷の事態だからこそ、スービン・メータは、心を打ちひしがれた人々に「音楽の力で励ましたい」と、「ベートーヴェンの希望の第九」公演を訴え、決行したのだ。団員は応えた。この時こそ、音楽の力だ。

 黙とうの後、演奏が始まる。指揮者の眼は、真剣で厳しかった。苦難に立ち向かう怒りのようなものが感じられた。第三楽章になると、指揮者の眼から険しさが取れ、柔らかく優しくなった。やがて歓喜の大合唱となる。緊張感がほとばしる。

 カメラは、歌う人たちの表情をとらえていた。ぼくは、そこに一人一人の精神のほとばしりを感じた。「鬼気迫る」、ただならぬもの、そんな感じもした。

 演奏するということ、歌うということ、それはどういうことなのか。何をすることなのか。

 それは魂の叫びなのだ。

 演奏は、これまでとは違うものが現れていた。祈りも感じた。連帯への呼びかけ、励ましも感じた。

 

 ロマン・ロランは、「苦悩の英雄 ベートーヴェンの生涯」を書いていた。

 「いたましい殉難の時期に、人間性に対する最高の歌を」と、ベートーヴェンは「第九交響曲」の崇高な歓喜の曲を創造した。そのとき彼の耳はほとんど聞こえていなかった。

 英雄的な人とはどういう人なのか、ロランは言う。

 「思想あるいは力によって勝った人々を、私は英雄とは言わない。心によって偉大だった人々だけを私は英雄と呼ぶ。」

 苦悩の底にあえいでいる人々、不幸な、孤立している人々、その人たちに、苦悩の英雄を示して慰めと力を与えたい。

 ベートーヴェンのその心を、ズービン・メータは演奏に表わしたのだった。

 被災者支援チャリティコンサート、その収益は全額寄付された。