この地域の人たちも高齢化している。昨日もご近所の高齢の婦人二人が入院したという知らせを聞いた。16年前、この地にぼくらが引っ越してきてから、四人が亡くなられた。ぼくらもいずれ、その日がやってくる。
かつて灰谷健次郎が、「蒙古高原にねむる友」という文章を書いていた。
「神戸に、春木一夫という作家がいて、昔からの文学仲間だった。蒙古を舞台にした長編を書くと言っていたが、その志を果たさないうちに急逝してしまった。
オレが死んだら、蒙古高原に骨をまいてくれ、と言っていた。彼にとって蒙古は青春の地であった。
春木の妻の綾子さんが、夫の意志を果たさないうちは死んでも死にきれないというので、じゃあ一緒に行きましょうということになって、蒙古の旅が実現したのであった。
上海、北京、フフホト、四日目に内モンゴルのフェインテンシラ草原に着いた。
その地をなんと形容したらよいのだろう。
巨大なコンパスで、空と地を雄大に切り取った、とでも言えばいいのだろうか。目をさえぎるものの何もない草原、不思議なことに、一瞬どこかで見たと思った。
「あっ」、私は声を上げた。
児童文学の名作「スーホの白い馬」、絵を赤羽末吉さんが描いておられるのだが、その絵の印象なのだ。
フェインテンシラ草原は、夏の花が真っ盛りだった。この地では、花は一斉に咲くのだろう。スミレ、キキョウ、リンドウ、アザミ、コザクラ、一面に咲き乱れているのだ。強い風を避けるために、植物はせいぜい十センチほどの背丈で、可憐だった。
私たちは小さな穴を掘り、春木さんの骨を埋めた。
春木さんは、酒と牛肉が好きだった。私たちは、酒は上等を用意したが、牛肉は缶詰でかんべんしてもらうことにした。
最後の酒盛りを、春木さんとした。
酔いにまかせて、私は馬に乗り、スーホのように草原を駆けた。」