「戦争」を考える授業の創造を!

 

    今朝の朝日新聞に、ロシア軍の捕虜になったウクライナ兵の体験記事が載っていた。ウクライナ兵は、オレクシー・アヌリアさん。捕虜となって9カ月をロシアの収容所で過ごし、捕虜交換によってウクライナに帰還した。彼はロシアでの体験を語っている。

    「収容所では暴力の限りを受けた。電気椅子に座らされ、何度も気を失った。一日スプーン2杯のおかゆ、コップ半分の水、それだけだった。独房のなかで、ミミズやネズミをつかまえて食べ、それで自分は生き延びた。」

    ニュースだけでは、戦場の実態はつかめない。知られざる実態は、もっとすさまじいものだろう。

    過去の日本軍の行った実態は、体験記録や文学作品となったりして残されているが、学校教育のなかでは、ほとんど生徒に伝えられてこなかったのではないかと思う。

    私は「夕映えのなかに」(上巻 p173)に、学校時代の教員について次のように書いた。

 

    「小学校から高校時代、教師たちは誰ひとり自己の戦争体験を生徒に語らなかった。教師たちのなかには軍隊経験や被災体験を持っている人もいた。

    なぜ彼らはその体験を語らなかったのか。

    万太郎のこの問いにサンペイは言った。

    『語れないんや。語る気力が出てこないんや。自分は被害者であるし、加害者としての罪もある。心の中で整理できて、語ることが自分の使命やと思えたときに、語れるんや』

    万太郎の受けた高校の世界史の授業は、いつ、どこで、何があったか、という知識の断片だった。それは歴史教育ではない。日本史の授業も、明治維新で終わった。近現代の重要な歴史は吹っ飛ばした。これが戦後民主主義教育なのか。意図的なのか怠慢なのか。教師は、近現代のWhyとHowは吹っ飛ばした。戦争の真実を欠落させた授業だった。

    敗戦の三カ月前、慶応大学の学徒兵、上原良治は、特別攻撃隊として出撃し、沖縄嘉手納でアメリカ軍機動部隊に突入して戦死した。22歳だった。彼の手記は、『きけ わだつみのこえ』の冒頭に掲載されていた。

    『権力主義の国家は、一時的に隆盛であろうとも、かならずや最後には敗れることは明白な事実です。我々はその真理を、今次世界大戦の枢軸国家において見ることができると思います。ファシズムのイタリア、ナチズムのドイツもすでに敗れ、権力主義的な国は、土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。真理の普遍さは今、現実によって証明されつつ、歴史が示したごとく、未来永久に自由の偉大さを証明してゆくと思われます。』

    出撃に意味を持たせたい。深い葛藤と絶望を抱えて、上原は戦死した。

    なぜ日本はそういう戦争をしたのだろう。青春を奪われた彼らの苦悩、『きけ わだつみのこえ』は、学生の必読の書だと、万太郎は主張した。」

 

    戦争が終わってから、あの戦争を問う体験記や評論や小説が出版された。戦争批判の内容は厳しかった。私の小中高時代の教員たちのなかには、軍隊経験を持つ人がいたが、彼らは生徒に戦争を語ることをしなかったのは何故か。サンペイの言うように、それを語ることをさえぎるものがあったのか、それを語ることが反戦平和に資することであると、考えられなかったのだろうか。そして現代の教員について思う。現代の教員は、何故、「戦争」を、「平和」を、「人間」を、「社会」を、「生き方」を、「理想」を、生徒とともに考える授業を創造しようとしないのか。

 これまでの先人たちの、苦悶の実践を学んでいるのだろうか。