新聞のコラムで、ルワンダ人女性が福島市内の仮設住宅を回りながらルワンダコーヒーの会をやっている話が出ていた。
震災で自らも被災し、それから月に二、三回ほど、ルワンダコーヒーを持って県内を周り、被災者に語りかけている。
「私も子ども三人を連れて故郷を追われた。故郷を奪われ、仮設で暮らすつらさ、分かります。内戦で兄を亡くしています。津波で愛する人を失った人の痛み、分かります」
日本とルワンダ、両国をまたいで、うちひしがれた人々の魂を揺り動かし、元気づけているルワンダ人。このような人がいたことを、恥ずかしいことにまったく知らなかった。カンベンガ・マリールイズという女性。
インターネットで調べてみると、J-one(ジーワン)という福島の雑誌に出会った。その雑誌にカンベンガ・マリールイズさんの記事があった。J-one(ジーワン)とは「Jeevan」(ジーヴァン)という、ヒンディー語で「生命あるもの」の意に由来している。ポスト3.11の生き方を探るニュー・ライフスタイル・マガジンだった。そこにマリールイズのインタビュー記事が載った。
「ルワンダから日本に初めて来て素晴らしい国だと思いました。まず水道の蛇口をひねれば、24時間いつでも安全でおいしい水が飲めます。私は子供の頃から水汲みをして来ました。安全な水を安心して飲める、これは本当に素晴らしいことだと思います。日本は道を歩いていても安全です。私は日本に来まして、末の娘を授かり日本で出産しました。日本の病院は安全で、安心して子供を産める本当に素晴らしい国だと感謝しました。
ところが、その素晴らしい日本に東日本大震災が起きて福島第一原発が爆発して、私の住む福島市にも放射能がたくさん飛んで来ました。その時、何を思ったか。子どもたちに家から出てはいけません、外に出て遊んではいけません、水道の水も飲んではいけません、家の中でじっとしていなければいけない、と言わねばなりませんでした。その時、思い出したのはルワンダの内戦で家に閉じこもっていた時のことでした。夜になったら、次の日の朝が来るまで生きていられるか判らない。暗い部屋の中で息を潜めてじっとしていなければならない。ルワンダでは、あの内戦で100万人とも言われる人たちが殺されました。本当に恐ろしい。福島原発事故が起きた時、私はそのことを思い出していました。」
マリールイズの経歴を調べてみた。
マリールイズは、1993年にルワンダの青年海外協力隊の現地協力員をしていたことから技術研修生として来日して福島で研修を受けたことがあった。その後ルワンダに帰国すると、1994年内戦が勃発する。ツチとフツの二つの民族の対立が大虐殺へと拡大した。家族と必死に逃れて隣国コンゴ民主共和国で難民となる。そして留学生として再来日。2000年、日本で「ルワンダの教育を考える会」を立ち上げ、命の尊さや教育の大切さを訴える講演活動で全国を駆けめぐり、内戦で荒廃したルワンダの学校教育を再建するため、日本とルワンダを行き来して学校建設を始める。貧しい子どもも通学できるように、将来は幼稚園から大学までつくりたいと希望を燃やして。
2011年、そこへ大震災が襲った。マリールイズは避難所で肩を寄せ合っている親子を見た。その光景を見た時、内戦を逃れて、3人の子どもたちと難民キャンプにいた時の自分と同じだと思った。被災者の苦しみや悲しみがよくわかった。元気になってもらいたいと心から思った。
マリールイズはルワンダに一時帰国し、多くの仲間に日本への支援を呼びかけ、海外メディアの取材に応じ、被災地の現状をフランス語やルワンダ語など多国語で訴えた。日本のために<祈りの集い>を開き、被災した人たちに、「ともにいるよ」という気持ちを込めて一生懸命祈った。
日本を励ます応援歌を作った。ルワンダ出身のミュージシャン、サンプトゥさんが作詞・作曲した。必ず良くなるからという意味の歌詞だった。被災地に行く時は、必ずこの歌の録音を持って行き、被災地の人たちに聞いてもらう。
マリールイズのこんな言葉も、あるサイトに載っていた。
「私はルワンダ紛争という辛く悲しい体験を経て、命の尊さと平和の大切さを身を以て学びました。戦争で心身ともに傷ついたルワンダの子どもたちが夢を取り戻せるよう、義兄とともにルワンダのキガリという場所に幼稚園と小学校を建設し、その維持費をご理解いただいた皆さんから寄付をいただくために、日本全国で講演活動やルワンダの一次産業製品の販売等を行っています。県外での活動の際には福島の現状もお話をさせていただきます。残念なことに福島から遠方になればなるほど、福島の現状に対して誤解をお持ちの方が多いように思います。私たちは福島で生活しています。県外での生活を選択した方もいらっしゃいます。それぞれが元気にそこで暮らせることが何よりも大事なことですから、寄り添うような気持ちで応援してくださいとお話をします。
私には夢があります。福島のおいしい果物をルワンダをとおして国際的に紹介したいのです。福島産のリンゴや苺等をドライフルーツとして加工し、放射性物質の含有量をきちんと検査した上で、風評被害を理解してもらうこともかねて、一年に一度のルワンダの国際博覧会で展示したいと考えています。ルワンダは一次産業は盛んですが、例えば果物をドライフルーツにするといった二次産業の加工技術がありません。そこで日本の加工技術をルワンダに伝授して、ルワンダのマンゴーやグァバのドライフルーツを日本で販売することができれば、日本とルワンダの農業の振興につながり、また販売益の一部は両国の子どもたちの教育に役立てたいのです。私は漢字が読めませんから、一緒に夢を叶えていただける日本人の同志がいてくれたらなと思います。」
ややこしい政治の世界とは別のところで、社会をつくっている人たちがいる。国と国とをつなぐ人がいる。