宮澤賢治の心をユンさんに託し


 ユンさん。
 初めてお会いし、初めて握手し、愉快にお話できました。
 あなたがひとり、この遠い信濃路に来られ古楽器を車に積んで帰っていかれた後、ぼくは想像しました。
 生徒たちとともに、あなたは新しい演奏を創り出すでしょう。その楽の音のなかに、新たな曲が加わり、ジョンレノンの「イマジン」の希望と、賢治の心がハーモニーを創る、そういう心の音楽が生徒たちの演奏によって生み出される日の想像です。その演奏は、国境を超える希望がふっくらと聴く人の心にとどきます。教育は、<時代を左右し、人びとを抑圧するもの>から厳然と独立し、希望の未来を画くものでなければなりません。
 あなたの生徒たちの演奏のレパートリーのなかに、賢治の「星めぐりの歌」も入ることを楽しみにしています。

    
 1926年、教師を辞めて羅須地人協会をつくった賢治は、生徒や知人を集め、度々レコード鑑賞会を催しました。ドヴォルザークの『新世界交響曲』やベートーヴェン交響曲第6番『田園』は、賢治が最も気に入っていた音楽でした。賢治はチェロを演奏しました。学問と芸術、生活と農とが、羅須地人協会の活動の中心でした。
 それに先だつ1921年に、農学校の教諭になった賢治は、「精神歌」を作詞しています。この歌は、岩手県立花巻農業高等学校で今も歌い継がれ、多くの人に歌われています。

    (一)日ハ君臨シ カガヤキハ
       白金ノアメ ソソギタリ
       ワレラハ黒キ ツチニ俯シ
       マコトノクサノ タネマケリ
    (二)日ハ君臨シ 穹窿(きゅうりゅう)ニ
       ミナギリワタス 青ビカリ
       ヒカリノアセヲ 感ズレバ
       気圏ノキハミ 隈(くま)モナシ
    (三)日ハ君臨シ 玻璃(はり)ノマド
       清澄ニシテ 寂カナリ
       サアレマコトヲ 索メテハ
       白堊ノ霧モ アビヌベシ
    (四)日ハ君臨シ カガヤキノ
       太陽系ハ マヒルナリ
       ケハシキタビノ ナカニシテ
       ワレラヒカリノ ミチヲフム

 作曲家の富田勲は、『イーハトーヴ交響曲』を創りました。そのなかに、賢治の歌と詩がいくつか入っています。それは、「種山ヶ原の牧歌――星めぐりの歌――注文の多い料理店――風の又三郎――銀河鉄道の夜――雨ニモマケズ」です。

 賢治は、農民芸術概論綱要のなかで、こんなことを主張しています。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。」
「芸術はいまわれらを離れ多くはわびしく堕落した。」
「職業芸術家は一度亡びねばならない。」
「いまやわれらは新たに正しき道を行き、われらの美をば創らねばならぬ。」
「芸術をもてあの灰色の労働を燃せ。」
「おお朋だちよ いっしょに正しい力をあわせ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を 一つの巨きな第4次元の芸術に創りあげようではないか。
 まずもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう。」

 ユンさん、現実は厳しいものがありますが、あなたに感じたのは、楽天を含んだ情熱でした。希望はその土に芽吹くことでしょう。私の夢を、あなたに託したいです。