旧日本軍兵士との出会い

前回、山で出会った一つの不思議を書いていなかった。 12日、登り道でのこと。常念小屋までの最後の登りは胸突き八丁と呼ばれる急傾斜だ。道はジグザグになっている。 樹林帯を右上から降りてきた二人の男がいた。目の前に姿を現したのは、なんと兵隊では…

 常念岳に登ってきた

12日、息子家族が神戸から到着し、それから息子と二人で常念に登ってきた。一の沢登山口からの登山、13日の午後、疲労困憊で帰ってきた。体力は往年の何分の一かになっていることを痛感した。 一の沢から常念小屋までは距離5.7キロ。午前11時15分から歩き始…

 常念岳山行の日になった

この盆休みに常念岳に登ろうと息子が言い出したのは冬のことだった。次男坊の立ち上げたNPO活動に参加している希望者5、6人による登山パーティが生まれるはずだったが、結局それは実現せず、息子とぼくの、二人の登山となった。帰ってきている長男の息…

 中央アルプス、韓国人登山者の遭難

韓国人登山者20人が遭難したというニュースだ。檜尾岳の周辺で遭難したという。 北アルプスと南アルプスに比べて、中央アルプスの木曽山脈は規模が小さい。だから難度も北と南ほどではないから、安易に考えてしまう。駒ヶ岳ロープウェイができてから、ロープ…

二人は常念岳に登ってきた

昼過ぎに、山を降りたというフジヤンからの電話が入った。常念岳頂上に登ったあと、常念小屋で一泊したが、悪天候がここ数日続きそうだから、槍ヶ岳までの縦走は断念し、下山することにしたという。 昨日の今日、彼らは登山を続行しているとしたら、いまごろ…

 登山の誘い

夕方、野太い声の電話がかかってきた。この人はだれだ? 声はぼくの苗字をたずね、返事をしているのに聞こえないのか、今度は名前を聞き、つづけて「ヨッシャンですか」ときた。聞き覚えのある声だ。「はいよー」と大きな声で返事すると、相手は「フジヤンで…

 富士山の原点とは

富士山が世界文化遺産になり、登山者の増加が山の環境を悪化させていくことが懸念されている。 積雪期の富士山に登ったのは19歳のとき、1957年の春四月だった。雪の多い年だった。一合目から雪は数十センチあり、単板のスキーのそりをザックにつけて、樹林地…

 そうして人生は過ぎていく

窓から見る今日の蝶ヶ岳は、くっきりと穏やかだ。風はない。 蝶ヶ岳稜線の東側にはまだ雪の斜面が広がっている。その上辺りに山小屋があるという。せっせと穂高の連峰に登っていたころは、蝶ヶ岳とか大滝山とかの、人の住む平野に近い「大衆的な」前衛峰は、…

 ニホンオオカミの痕跡を追う旅の始まり

2012年11月が初版の「森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯」(田中敦夫 洋泉社)を、図書館の新刊書で見つけて、ざざっと読んでみた。土倉庄三郎の名前は、何度もたどった吉野川右岸の断崖にその名が刻まれていたことを思い出す。土倉庄三郎…

 雪の蓮華温泉

穂高・涸沢 歯科医の布山さんはアウトドア派で、乗っている車もそれらしい四輪駆動のがっしりしたものだ。頭はスキンヘッド、あごひげを生やし、医院での姿とは全く違う。治療中はマスクをはめ、頭に被り物をするから、野性が隠れる。この冬もスキーかスノー…

 新しい山

夜明け、 白い峰が西の空に立ち、 輝く、 常念。 今まで見てきた常念岳とは違う 新たな常念を見た。 頂上から雪煙があがり、 南に流れて空に消える。 森の上に白いすそを引き、雪の山ひだを折り、 光るものあり、 新しい山を見た。 新たな常念は、神さびる常…

 大失敗と大成功

マート君と、マートのフィアンセのエミちゃんと、そしてぼく、三人で秋の信州へ行こうと相談した。マート君とぼくは、新雪の常念岳に登り、白銀に輝く穂高連峰や槍が岳を見る、そして稜線でテントを張って一泊する。エミちゃんはひとり碌山美術館に行って、…

 山のフィナーレ<乗鞍高原・白骨温泉>

乗鞍高原は、紅葉まっさかりだった。 青空の滑り台。 尾根から谷へ、錦の森はなだれ落ちる。 稔りの秋の、やがて来る冬に先駆ける静寂の賛歌だ。 休眠に入る前、 山はフィナーレの大合唱。 一の瀬牧場を歩く。 黄葉の森を編む白樺の白い幹。 あざみ池の澄ん…

 久しぶりの山道

「小さな同窓会」があって、十人の旧同志たちが、ピラタスの丘の「ひこう船」に集まった。 波乱に富んだ夢の、「梁山泊」か「井岡山」か、胸躍らせたそれぞれの人生を振り返り、 希望と矜持、悔恨と責任、 自由奔放に話は夜中の3時まで続いた。 翌朝、秋は…

 南紀の山と川

のろのろ台風が、しこたま雨を降り注ぎ、南紀の山あいの村々は洪水に飲み込まれた。 昔、生徒たちを連れて、山から山へ歩いた、台高山脈、大台ケ原、大峰山脈は、 昨日あたりからやっと秋晴れになっていることだろう。 ぼくの人生に深く刻みこまれた、紀伊山…

昭和18年、戦時の槍ヶ岳登頂

日本野鳥の会の創始者であり詩人であった中西悟堂は、前年に続く昭和18年(1943年)7月には烏帽子岳から槍ヶ岳を経て大滝山まで縦走している。 戦況は悪化の一途をたどり、日本は次第に追いこまれていた。 昭和17年4月、米軍機は、京浜、名古屋、四日市、神…

 セミが鳴いていた

わずか5分ほど、田園地帯から車で上ってきただけなのに、世界はすっかり変わっていた。 蝉が鳴いている。森の中から、たくさんの蝉の声が降ってくる。 福島の子どもキャンプに、6日間部屋を予約してあったから、社会福祉協議会の樋口事務局長はすでに、そ…

  ばかげた競争

月見草 先日、大日小屋のことを書いたが、そこからの下りを書かなかった。 その下り道、のんびり山旅になるはずだったが、とんだことになった。 ぼくと北さんは、立山から剣岳に連なる稜線から西へ分かれて大日岳に向かい、 大日小屋を通過して大日平への下…

 山小屋の赤い屋根

梅雨が明けたら、ガンガンの日射だ。 それでも日の出前の安曇野は香り立つ風が吹く。 久しぶりに常念岳が静かに姿を現し、もうすっかり夏の山だ。 雪は谷間に少し、常念岳と横通岳の鞍部の雪田は点になった。 常念からなだらかな稜線を左へ視線を移していく…

 ピッケルの思い出

部屋の壁に立てかけたままの1本のピッケルがある。 夫の遺品として大切に持っておられた方から、いただいたものだ。 いつか再びこのピッケルをもって雪の山へと思いながら、とうとう1度も使わずに今に至った。 山への想いは、熾き火のように残っているが、…

 山の歌

朝の野の道、 霧の日は、霧の歌が口をついて出てくる。 「霧だー、ほーいほい、 朝霧だー、ほーいほい、 霧の中から 日が 出てくるよ。 だれか どこかで ほーいほい、 朝霧だ ほーいほい。」 昔、子どもの頃、ラジオでよく聞いた歌。 歩いていると、山の歌も…

 映画『剱岳 点の記』

栗の花の香りは強く、野性そのものだ。 父の日に、息子夫婦から映画『剱岳 点の記』のチケット2枚が送られてきた。 母に日には、妻にカーネーションの花鉢だった。 父の日は何をしよう、と考えていたらタイミングよくこの映画が封切られた。 オヤジにはこれ…

 北アルプス・栂池自然園

日曜日、朝7時半からの公民館掃除をすませて、9時前から洋子と出かけた。 今日は秋晴れになるから、それに山の紅葉が今日ぐらいがピークだというから。 洋子が、おにぎり弁当を作ってくれた。 なつかしい栂池。50年前、ほとんど未開発のこの地域にぼくらは…

 夏山

夏休みが来ると、どどっと訪れる解放感と共に、 山の呼ぶ声がしきりにした。 山仲間と登る山、 生徒と登る山、 かつての教え子と登る山、 同僚教師と登る山。 今年はどこに登ろうか、 山々の姿を思い浮かべながら計画を立てる楽しさ。 夏山には夏山の、冬山…

 単独行で山がくれた力

29歳だったか、30歳だったか。 3月の単独行の山だった。 積雪は多く、5合目の山小屋は完全に雪に埋まっていた。 たったひとりの山、なぜ登る? 心のはずみも楽しみもない、ただ寂寥感があるだけ。 なぜ行くのか? 自問する。 潜んでいる意思だった。 …

 涸沢・穂高 (2)

再会、雪の穂高 午前5時半起床、期待に胸をわくわくさせてテラスに出てみた。 快晴も快晴。どんがらどんがら、こりゃすごい天気だ。 まだ明けやらぬ空に、夜がなごりをとどめていたが、雪をいただく岩峰はすでに目覚めて、 やがてわが身を染める日の光を待…

 涸沢・穂高 (1)

新雪の涸沢に登る 20日の天気は雨という予報が、前日になって晴れという予報に変わり、 涸沢入りを決行することにした。 朝起きると、明けゆく西空にそびえる常念岳、蝶岳が雪をいただいて輝いている。 世界が変わった。これは最高の山行になりそうだ。 家…

 秋の登山

涸沢に入ろうか この夏は穂高・涸沢カールに入って、長かった追慕の穂高山群と再会しようかと考え、 今年の年賀状の挨拶にも、「今年は久しぶりに涸沢に入って、ヤッホーでも叫びますかな」と書いたりしていた。 カールというのは、大昔の氷河の跡と言われる…

 時代と山

登山 戦前と戦後 時代区分というものは、人間の意識に影響を与えるもので、 たとえば、江戸時代のイメージと明治時代のイメージとは、がらりと異なり、 二つの時代は連続しているにもかかわらず、1867年でぷっつり切れて、社会も人間もごろりと変わって…

 自分を復活させるところ

自分を救う世界 今、一緒に活動しているSさんが、こんなことを言った。 公立学校の教員をしていたとき、職場のなかでたいへんな苦労をしました。 ストレスがたまり、心も体も、疲弊しました。 そういうとき、私は、中国のウイグルへ旅をしました。 数人の仲…