常念岳山行の日になった

 この盆休みに常念岳に登ろうと息子が言い出したのは冬のことだった。次男坊の立ち上げたNPO活動に参加している希望者5、6人による登山パーティが生まれるはずだったが、結局それは実現せず、息子とぼくの、二人の登山となった。帰ってきている長男の息子、セイタロウがそれを聞いて、
 「ぼくも山に行く」
と言い出し、その意欲やよし、連れて行こうといったん思ったのだが、まだ小学一年生でもあり、体力と山の状態を考えて、
 「セイタロウは山には行かないよ」
と宣言した。彼は3000m近い常念岳がどんな山なのかさっぱりイメージもなし、東京近郊の低い山ぐらいに思っているのだろう。
次男の息子がおやじに、一緒に山に登ろうなどと、どうして言い出したのかな、と思いもする。
 若いころからせっせと山に登っていたおやじが、50代から登らなくなったのは、登山という行為がそのころの生活と組織の中では不可能なものになっていたせいでもある、という理解が息子にあって、それなら今それを取り戻してやろうということなのか、あるいは単にNPO活動の会員の希望をかなえるために一肌脱いでもらおうと考えたのか、さらにはまた高齢のおやじを刺激して、若さを取り戻してやろうとしたのか、といろいろ理由を考えるが、息子自身の言い分では、おやじの住んでいるところの目の前にそびえる山に、登らないでいるということ自体不思議なこと、一度は登っておきたい、昔、山に打ち込んできたおやじを案内人にしようと思ったということだった。
 では行くことにしよう。気がかりだった不整脈もこの2年間は出ていないから、たぶん大丈夫、それに毎朝4キロから7キロ歩いているから、体力的にも大丈夫とふんだ。フジヤンとサカヤンから、常念―槍ヶ岳の縦走に誘われもして、結局行かなかったが、常念に登ることは決めた。
 行くと決めたら、頭がコースを描き始め、常念岳から蝶が岳まで縦走しようか、山小屋はやめてテントにしたいなとか思う。山の気がしんしんと身を包むテントで寝たいという気持ちが出てくるかと思うと、テントや食料、炊事用具など重い荷物は、今の体力では無理ではないかと慎重な気分にもなる。
 結局、山小屋泊まり、常念岳往復、という単純山行にした。ぼくのおんぼろ車、三菱のミニカに乗っていき、一の沢の登山口近くに置いておく。
 息子の家族4人は、早朝5時に神戸を発って、午前10時前に到着。それから山へ出発。もうちょっと余裕があればいいのだが。
 ここ数日猛暑、甲府では40度を超えた。毎日外で仕事するとまさに滝のような汗だ。シャツをしぼれば汗が滴り落ちそうだ。山道でかいた汗がシャツを濡らし、登るにつれて冷えてくるだろう。着替えももって、カメラももって、おにぎりとキュウリの丸ごとをザックに入れて、それではGO!