涸沢・穂高 (1)

  


      新雪の涸沢に登る


20日の天気は雨という予報が、前日になって晴れという予報に変わり、
涸沢入りを決行することにした。
朝起きると、明けゆく西空にそびえる常念岳、蝶岳が雪をいただいて輝いている。
世界が変わった。これは最高の山行になりそうだ。


家を7時に出て、上高地9時着。
徳沢園で早い昼食をとった。早朝から妻の作ってくれた新米のおにぎり弁当はまだ少し温かく、うまかった。
徳沢のカツラの木は、少し紅葉が始まっている程度で、ハルニレの木は青々している。
徳沢園の「桂の神秘」、気温が氷点下になったある日、一時間ほどの間に黄葉が舞い落ちるというのはこれからだ。


梓川にかかる吊り橋・新村橋の上を数頭の猿が渡っていた。
その後ろから人が渡ってくる。
吊り橋は人一人が通れる幅しかない。
猿たちは、人の数メートル前をこちらの方へやってきたが、何匹かは、橋を渡りきってすぐに下の草むらに下りた。
ところが渡り終える前に人に追いつかれた大きな1頭がいた。
橋のこちらにも人がいる。どうするだろう。
何か起こるか、緊張して見ていると、猿は、橋のきわにちょこんと座り、目の前を通り過ぎていく数人の人間に道をゆずった。
そして静かに人の通り過ぎるのを待っているではないか。
早く渡り終えていた猿たちも、橋のたもとの草むらにいて草の根を引っこ抜いたりして、何か食べ物を探しているが、
人間を警戒しておびえもしなければ、人に慣れて食べ物をねだるという風も、人間に関心を持つ風もない。
たまたま橋の上で一緒になりましたが、あんたたちはあんたたち、私たちは私たち、
お互い干渉しないで、邪魔をしないで、共存しましょう。
そんな感じだった。
人間は猿を見ているが、ただ見ているだけ、
猿はちらっと人間を見るが、ほとんど無視するかのように餌を探している。
猿たちのプライドも感じられて、静かな感動が湧いた。
猿に餌を与えない、それは上高地での鉄則になっているが、登山者のマナーと上高地には畑や住宅などの人間の生活圏がないことが、このような現象を生んでいるのだろうか。


新村橋、かつてここを渡って、奥又白へクライマーたちは登っていった。
井上靖の小説「氷壁」の主人公たちも、徳沢園からここを通過して前穂東壁に向かった。
関西登高会の辻君は、前穂高・第四峰、新村ルートの第2登をねらうベテラン二人に加わってアタック、
新人の彼だけ猛吹雪の中で凍死したのは1959年。
彼とは一度積雪期の唐松岳五竜岳に雪洞を掘って一緒に登ったことがあった。
僕と同年の21歳だった。


槍沢への道と分かれると、涸沢への谷沿いの道を登る。
左に屏風岩が昔と変わらぬ姿でそびえたっている。
かつてはここにも多くのクライマーが挑んでいた。
本谷橋を渡ると、いよいよ本格的な山道になった。
半時間ほど行ったところで、かなり年配の女性がひとり休んでおられた。
疲労しておられ、ザックは大きい。
「私がいちばん最後ですか」
と言われる。
スローペースで登っているとのことだった。
今晩の泊まりを訊くと、涸沢ヒュッテではなく涸沢小屋ですという。


涸沢カールはなかなか現れなかった。
雪が現れ、最後の登りは岩のガレ場、4時を過ぎて気温は下がり、汗に濡れた体から体温を奪っていく。
東に常念岳の真っ白な山容が西日を受けて輝いている。
穂高山群は雲に覆われていた。
太古の氷河の跡、モレーンと呼ばれる石の堆積がるいるいと広がるところを登ると、
なつかしい涸沢小屋の灯が見えた。
すでに暗くなってきている。
カールの雪渓の下部、テントサイトには10ほどのカラフルなドームテントが張られている。
涸沢小屋到着は午後5時。
受付ですぐに、途中で出会った年配の婦人のことを伝え、誰か若い人が迎えに行ったほうがいいと言うと、
受付の女性は、
「要請がないと動けません」と言う。
対応があまりに冷たく管理的だったので、少々むっとなり、
「あぶないですよ」ときつく言う。


夕食は5時半からだった。
食堂に行くと20人ほどの客がいた。
みんな黙々と食べるばかり。
熱い味噌汁がのどをうるおし、体を温めてくれる。
食べながら、先ほどの単独行の女性のことを考えていた。
外はとっぷりと暗い。再び雪が降り出している。
疲労困憊していて夜になり、雪が降る。
救助を要請することができるような状態にない人に、救助が必要なら要請しなさい、とはどういうことなのか。
要請できないから遭難するのではないか。
山小屋がそんな考えなら問題は大きい。


食後、ストーブの周りに宿泊客は集まった。
疲労と体の冷えが和らいでくるまで、みんなの口は重く会話もはずまない。
先ほどの女性の話をみなさんに伝え、
「遭難する人が救助要請をどのようにしてできるのですか。昔から山小屋の使命に人の救助があったはずです。」
と言うと、みんなはうなずき、その女性がどうなったか気になるようだった。
時刻は7時、ぼくは、受付へ行き、たずねてみた。
先の女性とは別の若い女性が、
「無事に先ほど到着しました。こちらから迎えに行きました。ありがとういございました。」
と応えてくれた。
よかった、よかった。あの時は、冷たい応対に憤りをおぼえたが、小屋の主は適切な判断をして動いてくれた。
僕には管理的な対応を感じさせたが、実際は山小屋スタッフと相談して、山小屋の使命を果たしてくれたのだ。
外は吹雪だ。
穂高星夜、満天の星空は見られない。
8時半、就寝。