北アルプス・栂池自然園

日曜日、朝7時半からの公民館掃除をすませて、9時前から洋子と出かけた。
今日は秋晴れになるから、それに山の紅葉が今日ぐらいがピークだというから。
洋子が、おにぎり弁当を作ってくれた。
 なつかしい栂池。50年前、ほとんど未開発のこの地域にぼくらは集中して登った。夏、白馬岳から縦走し、秋、紅葉の中を、また冬、豪雪の中を、白馬岳を目指した。冬の栂池小屋の前にウインパーテントを張った、あの当時の小屋が今は記念館として保存されていた。記憶の中の大きかったヒュッテは、隣に建てられた2棟のヒュッテとビジターセンターに比べると、こんなにも小さかったのかと驚く。
小屋から奥へ、自然園の木道を歩いた。紅葉が山々を覆っている。白馬三山も白馬乗鞍岳・小蓮華岳も、唐松岳から鹿島槍まで、今日は、全山くっきり姿を現している。連休だから人が多い。


 あの静謐の神の域、米栂の森の中にぽっかり開いた山のひとみ、池塘群。モウセンゴケが水際に生え、池の面に青空が映っていたあの夏と秋の「神の田圃」。あの時代から後、日本は国土をずたずたにする開発が進行した。スキー場として開発されてきたこの地域のなかで、それでも「神の田圃」は、今も健在であることが分かった。人の訪れるコースから外れて、ひっそりと。
夕方、栂池から帰ってきたら、岳友の北さんから、電話があった。今日、栂池に行ってきた話をした。「おれが死んだら、骨を神の田圃に埋めてくれ」と半分冗談で言った。おれはおおげさに了承した。そんなにも愛する地だったか。あの山頂には金沢が眠っている。それも関係しているのだろう。
北さんは、穂高岳剣岳の合宿、冬の白馬岳、黒部渓谷上の廊下の遡行と下降、黒部源流の支沢の登攀、雲の平から岩苔谷下降、冬の鹿島槍東尾根、冬の剣岳早月尾根、春の穂高岳、秋の鹿島槍三の沢など、たくさんの登山のパートナーだった。
30数年前、交通事故によって脊椎損傷、それ以後本格的な登山はできなくなった。しかし彼は驚異的なリハビリによって右半身の麻痺を残しながらも仕事に復帰して働いてきた。山には登れないが、山への情熱は絶やすことがなかった。

一本の白樺。山に映える白樺。また冬が来る。雪に映える白樺。