自分を復活させるところ

        自分を救う世界



今、一緒に活動しているSさんが、こんなことを言った。


公立学校の教員をしていたとき、職場のなかでたいへんな苦労をしました。
ストレスがたまり、心も体も、疲弊しました。
そういうとき、私は、中国のウイグルへ旅をしました。
数人の仲間とともに。
タクラマカン砂漠やオアシスの町がある、新疆ウイグルへ。
ウイグルへは、毎年行きました。
20年続きました。
そこが私の癒しの場でした。


あえて、辺境の地へ行く。
そこに安らぎがあり、癒しがある。
自分をとりもどす時間が流れている。


僕の体験で、ああ、救われたと思ったのは、山だった。
そのころ、額に重い鉛をぶらさげたような、苦悩がつづく毎日だった。
徹夜で会議をすることもあった職場、
家に帰るのは毎夜10時、11時。
全国のなかでも最も先進的先鋭的だった地域の被差別部落の運動体、
それに対する別の運動体の反撃、暴力団の介入、
子どもたちは荒れた。


やがて運動は内部分裂、そして対立。
ぼくは学校の中に、その余波を持ち込ませないように、
気苦労が続いた。
ぼくはその職場の組合の責任ある立場にいた。


ストレスがたまる。
状況は生易しいものではなかった。
このままでは、自分がもたない。
行こう。山へ。


11月だった。
一人で白馬岳に登ることにした。
白馬大雪渓は、あちこちにクレバス、シュルンドができていた。
一日で、頂上につづく稜線に出た。
山は冬を迎えつつあった。
這松と這松の間に、ツェールトを広げ、そこに潜り込んで一夜を明かす。
天候は良好、雪は来ない。
夕日が立山連峰のかなたに沈み、簡単な行動食を食べて、寝袋に入った。
稜線を吹きすさぶ風、ツェールトが音をたてて動く。
気温はぐんぐん下がった。
零下十数度まで下がったように思われた。
体が冷え、睡眠がとぎれる。
明け方、うとうとしながら寒さを耐える。


夜があけ、腹ごしらえして出発。
雪が少し積もり、
這松に霧氷がえびの尻尾をつくっている。
頂上を越えて岩場に差し掛かったら、
スカブラがはっている。
岩の表面に、薄氷がはっているのだ。
もっとも危険な状態、靴がスリップする恐れがある。
慎重に足を運びながら、稜線を下る。
前方に人影があった。
やはり単独行者で、同じ方向に向かっていた。
若い男性だった。
彼は、僕よりもはるかに若かったが、氷の張った岩場への恐怖のために、足がすくんでいるようだった。
ぼくはあいさつして追い抜いていった。
彼はゆっくりゆっくり下っていく。


安全な尾根道に入り進んでいくと、
後ろから、あの若い男性が追いついてきた。
若いだけあって、彼はスピードがある。
今度は彼が追い抜いていった。
コースを聞くと、同じだとわかった。
彼はどんどん快調に飛ばして、姿が見えなくなった。


昼前、樹林地帯手前で、彼は休んでいた。
ぼくもそこで一緒に休むことにした。
お昼にしますか、
そうしましょう、
彼はコンロでお湯を沸かし、
互いの食料をわかちあって食べることにした。
どこから来ましたか、
私は大阪、あなたは?
富山です。
どうして今頃ここに?
話は身の上話になった。


ぼくらはすっかり親しくなった。
山葡萄のたわわに実る道を行く。
長い長い道、一緒に歩く。
ふもとに近づいてから、帰りの列車に間に合わすために彼は先を急いだ。


ひたいにぶら下がっていた重い鉛の塊は、なくなっていた。
切れそうになっていた神経が、また図太く復活していた。
山に助けられた、その思いが体の中から高まってくるのを感じた。


ピンチのとき、あえて辺境への旅に出る。
それはひとつの救いになる。
自分を復活させるところ、
それぞれの人にその人の復活の場がある。
もしなければ、それを発見することだ。
ぼくのそれは、
汚れを吹き飛ばす清澄で玲瓏、厳粛な空気の中にある。