南紀の山と川


のろのろ台風が、しこたま雨を降り注ぎ、南紀の山あいの村々は洪水に飲み込まれた。
昔、生徒たちを連れて、山から山へ歩いた、台高山脈、大台ケ原、大峰山脈は、
昨日あたりからやっと秋晴れになっていることだろう。


ぼくの人生に深く刻みこまれた、紀伊山地の山と川。
ぼくは追憶する。
17歳のとき、中学時代の級友は、11月、大台ケ原をめざして筏場から登り、吹雪で凍死した。
2年後の秋、同じコースをぼくは山岳部の仲間と登り、大台と大峰の二つの尾根を縦走した。
人の入らない谷で、テントの前からご飯を入れたまま飯ごうがなくなり、不思議体験はこのときから始まった。
教員になって子どもたちと南紀の山に登った。
大台ケ原に続く国見岳の稜線、矢田中登山部一校をハチの大群が襲い、山道に体を伏せたマサトはひざを岩でうって怪我をした。
その夜、明神平で幕営したとき、
ニホンオオカミかと思われる謎の獣が高々と鳴き声を響かせた。
子どもたちの背筋を寒からしめる野性の声だった。
あの神秘の森の山は、先日の雨で2000ミリの降水を沢に集めて洪水となったが、
今もかの森は深い豊饒の茂りを見せ、謎の獣は生きながらえているだろうか。
切り立つ断崖、大台ケ原の大蛇グラの上から、重畳の山のうねりと北山川の蛇行を見下ろし、学校の日常の憂さと反抗を長い吐息と共に吐き出した加美中のマサルよ、イケダよ、
いま父親として、生活と格闘していることだろう。
葛城山頂にテントを張り、夜のてっぺんから大阪の町の灯に「命の彼女」の名を叫んだ、リョウイチ、シンジ、ニイヤマたち、
あの強烈な在日のツッパリたちは、堅実な社会人として格闘していることだろう。


天川村にも大雨の被害が出た。
天川村の山と川もなつかしい。
弥山から走り下りてくる長大な尾根を天川村から一日がかり、ヘタバリながら登って頂上直下の狼平にテントを張った、
あの淀川中学のときの、ミズオカ、トキザネ、シンフネ、サコ、ハタ、ホリたちはもう還暦を過ぎ、
特大のキスリングザックをかついだ強靭なトキザネはガンに倒れて世を去った。
愛すべきトキザネノボルはもうこの世にいない。
そうだ、あの登山隊のなかにコウチャニュウ君もいて、大峰奥駆けの一部を縦走もしたのだ。


吉野川をさかのぼり、台高山脈に発する源流を登りつめていくと、昔筏流しをしていたというランプ生活の二軒に人の住む小屋が川沿いにあった。その近くで幕営し、沢をじゃぶじゃぶ遡行して原始林に踏み込んだとき、山ビルが襲ってきた。山ビルに吸い付かれた矢田南中登山部、創立1期の子らだった。
その子らのなかにロマンスも生まれ、ミノルとマサコは一家を成している。ぼくの同志でもある。


谷深く、水清き紀伊山地、集中豪雨は、ふもとの街や村に多くの傷を残した。
傷だらけの山は、それでも静かに秋を迎えているだろう。
この信州も、やっと朝晩は寒いくらいになった。
常念、爺、鹿島槍五竜、白馬の連峰も、秋空にくっきり山なみの輪郭を描いている。