そうして人生は過ぎていく

 窓から見る今日の蝶ヶ岳は、くっきりと穏やかだ。風はない。
 蝶ヶ岳稜線の東側にはまだ雪の斜面が広がっている。その上辺りに山小屋があるという。せっせと穂高の連峰に登っていたころは、蝶ヶ岳とか大滝山とかの、人の住む平野に近い「大衆的な」前衛峰は、登山の対象にしなかった。取捨選択して、より高度を求めた。それが結果として、蝶ヶ岳は、穂高・槍・常念という山群のなかでの未知の山になっている。
 今日の常念山脈は濃緑の肌に、いくつもの雪渓が白く筋を引く。蝶ヶ岳の稜線は北になだらかに続き、しばらく急な下りと上りがあって常念岳の登攀となる。蝶ヶ岳、夏はお花畑が広がり、西を見れば穂高から槍への岩峰がるいるいと連なっているのだ。そこまで登れば、モルゲンロートに染まる若き日の憧れの岩峰や、暮れゆけば黒い山群の彼方を茜に染めて沈む夕日を眺めることができるのだ。こういう近距離に住みながら7年、烏川を遡行するそこへの道に踏み入らなかったのはなぜだ。今年こそは、と言いながら、いつのまにか切り捨て、酷熱の太陽が照りつける夏は、たちまち過ぎ去ってしまっていた。

 わが人生、これをやりとげよう、このことを実現させよう、と湧いてくる望みに駆られて生きてきた。それはまた選ぶという思考による限定でもあった。こちらを選べばあちらを捨てる。捨てられなかったら、いつかのときにと寝かせておく。寝かせておいたら、遠くへ去ってしまっていた。

 今日、ひとりの生徒を教えた。昨日はひとりの若者と語り合った。
 薪を切った。草を刈った。トマトの種を播いた。
 明日は、大阪まで出かける。卒業して半世紀にもなる教え子の同窓会がある。
 ホトトギスが鳴いていた。オナガが飛んでいた。トンビが輪をかいている。
 そうして人生は過ぎていく。それでよい。それだけができ、それしかできなかった。そうして消えていく。