雪の蓮華温泉


                      穂高・涸沢 


 歯科医の布山さんはアウトドア派で、乗っている車もそれらしい四輪駆動のがっしりしたものだ。頭はスキンヘッド、あごひげを生やし、医院での姿とは全く違う。治療中はマスクをはめ、頭に被り物をするから、野性が隠れる。この冬もスキーかスノーボードかに出かけておられるらしい。
 「新雪をすべる山スキーはむずかしいですねえ。山をやっていたころ、山スキーはなかなか上手になりませんでしたよ」
 山スキーをしなくなって何年にもなるぼくは、スキーの道具の変化もあまり知らないでそう言うと、
 「昔のスキーは、ベンドが山形になっていたでしょ。今は違うんですよ。」
 布山さんはそりの板の山形の曲がりを指で描いて見せた。ゲレンデスキーはカービングという形になり、長さもぐんと短い。今の山用スキーは新雪からよく浮き上がるようにつくられているとおっしゃる。
 毎冬北アルプスに入っていた若き日、12月1月の新雪の深い山では、スキーの下にシールを貼り付け、滑降よりも登りの道具として使っていた。ひざや腰までもぐる雪でも、スキーをつけると足首ぐらいで雪上を移動できた。これで数十キロの荷物を背負って歩いた。下りは雪の上にスキーのトップを上げられずに何度も転倒した。春の残雪の山になると、雪は引き締まって堅くなり、アイスバーンにエッジがきかず、これまた転倒の連続だった。
 まだ二十代のころ、淀川中学校登山部だった卒業生の時実君と畑君を連れて白馬乗鞍岳に登り、天狗原の雪上にテントを張った。春の山だった。翌日、蓮華温泉に入ろうと、テントはそのままにして、三人で出かけた。積雪は5メートル以上はあり、ブッシュも岩石も雪の下、沢は雪に覆われて、夏なら歩けないところも歩ける。高校生の二人はわかんじきをはき、ぼくだけスキーをはいて、弥平衛沢を下った。あの下りは3キロメートルほどだった。ぼくは快調だったが、二人は北斜面の軟らかい雪にかんじきが沈んで、すこししんどかった。蓮華温泉野天風呂は周りが雪の壁、熱過ぎれば雪をスコップで湯船に投げ込み温度調節する。太陽はさんさんと照り、いい湯につかってすっかりいい気分になったが、体がふやけてしまった。午後、また来た沢を天狗原までもどった。行きは良い良い帰りは怖い、日帰りの温泉行きだった。あの時の時実君は今はもういない。3年前に癌で逝ってしまった。
 時実たちとの蓮華温泉から二年ほどして、ぼくひとりで同じコースを下ったことがあった。そのときは白馬乗鞍から蓮華温泉を経由してJR平岩駅に下った。単独行の危険を体験したのはこのときだった。樹林地帯を滑り降りていたとき、春のくさった雪だまりにそりがとられて転倒した。その瞬間、右のスキーが雪につきささり半回転して足首が180度ねじれてしまった。スキーの閉め具がはずれない。背中に大きなキスリングザックを背負っていたのが余計に体を拘束した。斜面を、頭を下にしてずるずるずれていく。ずれるにつれてそりは余計にはずれなくなった。必死だった。数分悪戦苦闘してやっとバッケンをはずした。ねじれていた足を元に戻したが、相当な打撃だった。歩けない。誰か通る人がいないか。しばらく座って待っていると、100メートルほど向こうの林の中を音もなく滑り降りていく一人の人の姿が見えた。おーい、叫ぶ。しかし、声は届かず、姿は消えていった。歩くしかない。ぼくはスキーをはずし、肩に担ぎ、荷物を背負ったまま、下っていった。誰とも会うことはなかった。足を引きずり引きずり、何キロ歩いたことだろう。蓮華温泉から平岩駅まで10キロはある。その途中の事故だったから長い道だった。痛みで脚はがくがくし、脂汗が流れた。駅が見えたときは助かったと思った。その日の夕方、大糸線信濃森上で降りて、懇意にしている矢口さんの民宿に泊めてもらった。脚はひざのところが象の脚のようにはれていた。矢口のおばあちゃんが、マムシ酒を出してきて、塗ってくれた。
 白馬山系の雪倉岳には、蓮華温泉から登ったことがあった。矢田中学校登山部OBだったマート君と二人で、平岩からスキーをかついで蓮華温泉まで入り、温泉宿に宿泊して雪倉をめざした。雪の大斜面はかっこうの山スキーの場だ。頂上は2611メートル。天候はよく、雪に反射する太陽にじりじり焼かれながら無事頂上に着いたとき、にわかに雲がかかりだし、西からの突風が襲ってきた。登ってきた斜面は東斜面だったから無風だったのが、頂上の尾根に出たために西からの風がまともにやってきたのだ。そこへもってきて、突如バラバラと大粒の雨が降ってきた。のんびりとくつろぐことはできない。急げ、声をかけてすぐさまスキーをつけ、二人は大斜面を滑り降りる。春の雪山の雨は命取りになるのだ。途中まで下ってくると、あの時の雨粒はうそのように、また太陽が照り始めた。
 蓮華温泉、標高1,475mのひなびた山の秘湯、1894年(明治27年)、日本アルプスを世界に紹介したイギリス人宣教師・ウォルター・ウェストンが、この温泉に宿泊して白馬岳に登頂した。今は秘湯とは思えないほどロッジも風呂も近代的に改築されているそうだ。