二人は常念岳に登ってきた

 

 昼過ぎに、山を降りたというフジヤンからの電話が入った。常念岳頂上に登ったあと、常念小屋で一泊したが、悪天候がここ数日続きそうだから、槍ヶ岳までの縦走は断念し、下山することにしたという。
 昨日の今日、彼らは登山を続行しているとしたら、いまごろ大天井岳ぐらいに行っているだろうか、しかし麓のここでも雨が降り続いているから、山はもっとひどいだろう、今日は山小屋で沈殿しているといいがと思っていたら、二人は朝から昨日登ったコースを降りてきて、麓の温泉につかって雨に濡れた体を休めていた。
「大丈夫か」
「大丈夫や」
 70代後半の御老体、雨のなかの登山はこたえる。
 サカヤンに電話が代わり、昨日の登山の様子を話してくれた。
 午前8時に登山口から登り始め、10分おき、20分おきに休みをとりながら、健脚の人の倍の時間をかけてゆっくり登った。サカヤンはストックをついて、フジヤンはなし、途中弁当を食べて、山小屋についたら午後2時だった。登山前から6時間かけて登ろうと思っていたとおりになった。二人は毎年夏には北アルプスに登ってきただけあって、体力に合うペースをわきまえている。昨年は新穂高温泉から入山して、三俣蓮華から野口五郎岳をとおり烏帽子岳まで縦走している。
 小屋について荷物を置くと、二人は頂上へ向かった。すると松本市内の中学校の生徒90人も登山していた。
 「運動靴の子も多いし。それに90人もいたから、早い子も遅い子もいて、ばてて四つんばいで這うようにして登っている子もいるし。生徒の掌握ができてるのか心配やった」
この地方では、中学校の夏の行事に北アルプス登山を行なうところが多い。元教員だけにサカヤンたちは生徒たちの様子を見てちょっと心配し、これだけの高山に中学生登山が行なわれていることに驚いたようだった。
 サカヤンたちも90人の子らも、山小屋で泊まった。大人の登山客はそんなに多くはなかった。
 天候は夕方すこし安定していて、槍ヶ岳も見えた。ちょうどそのころ、ぼくも我が家の庭から山を見たら、常念も蝶ヶ岳も見えていた。あの稜線にいるんだなと二人の様子を想像しながら山を眺めていた。
その後天気は下り坂になり、明けて今日は一日雨、明日も雨の予報、雷の危険性もある。二人はこれまでの経験から雨の中を歩く縦走はしたくない。下山しよう、となった。
その決断やよし。昨日、ぼくは半分冗談で、
「ヘリコプターで運ばれるようなことのないようにしてや」
と言って、出発していく二人を見送った。フジヤンは重い病気もしている。毎夜、薬を飲まなければ眠れない。日ごろトレーニングをしているとはいえ若いころと違って老体には何が起こるかわからない。
無事でよかった。
「そこへ迎えに行こうか」
「いや、もう結構、これから穂高駅にタクシーで行き、大阪に帰る」
そうか、なんだかあっけない幕切れになったという思いがした。