登山の誘い

 夕方、野太い声の電話がかかってきた。この人はだれだ? 声はぼくの苗字をたずね、返事をしているのに聞こえないのか、今度は名前を聞き、つづけて「ヨッシャンですか」ときた。聞き覚えのある声だ。「はいよー」と大きな声で返事すると、相手は「フジヤンです」と言った。
5月に大阪のホテルで行なわれた淀川中学校の教え子の同窓会で6年ぶりに会ったフジヤンだ。
 「夏、山行けへんか」
と言う。フジヤンは大学山岳部の先輩で、何度か山行をともにした。フジヤンとの初めての山は、晩秋11月の大台ケ原から大峰登山だった。四人のパーティは夜に近鉄大和上市駅に集まり、駅の待合室のベンチで一晩明かした。始発電車の来る前に起きると、フジヤンはどこかへふらふら出かけて行った。しばらくして帰ってきたフジヤンは、
「 トラック、頼んできた」
と、こともなげに言う。吉野川上流に向かう林業のトラックの荷台に乗せてもらえるように頼んできたと言うのだ。そういう手腕に、さすがは先輩だと感心した。
 行きは空っぽで出発し、帰りに杉、ヒノキを満載して帰ってくるトラックの荷台に乗り込んだ四人は、朝風に吹かれながら、吉野川の流れにそって、山奥の入之波まで入りこんだ。大台ケ原ドライブウェイがまだつくられていなかったころのことである。
 紅葉の原始林を登り、夕方、大台ケ原の山小屋に入る。山上はもう冬だった。山小屋には小屋番のおやじが独りいた。おやじは囲炉裏に火を焚き、学生一行を温かく迎えてくれた。ぼくらは素泊まりで、食事は自分たちでつくった。囲炉裏の周りにみんなが座って食べ始めるとき、フジヤンはザックの中にひそませていたウイスキーのビンを取り出し、まずは一献と、小屋番に勧めた。おやじは、実に嬉しそうにウイスキーを飲んで、会話がはずんだ。さすがは先輩、と19歳のぼくはまたまた感嘆した。
 翌朝、氷がはっていた。ここから尾根道を行き、伯母峰峠から大普賢岳に向かう途中で幕営した。翌朝、前日に炊いておいたご飯を食べようとすると、飯ごうごと何ものかに持って行かれたのか、見当たらない。プラスチックの食器には円い穴があけられている。全く人の入らない沢だった。フジヤンとあたりを調べたが謎だった。そのときの不思議体験は今も謎のままである。
 それから5年後、フジヤンが淀川中学校教員として転勤してきた。先輩はぼくの同僚になった。一緒に同じ学校で教育に従事したのは4年間だった。その後は、教育実践の道は異なったが、付き合いは続いた。
 電話のフジヤンが言う。
 「7月から8月にかけて、そのあたりで、常念岳から槍ガ岳まで一緒に縦走せんか。毎年、サカヤンと縦走してきたんやけど」
 サカヤンも当時の同僚だった。二人は高齢の身で、毎年北アアルプスにチャレンジしてきた。そこへ加われよ、三人で登ろうという。フジヤンは4年前、重い病気にもなった。それにもかかわらず、山に登る。毎年もうこれでおしまいにしようと言いながら、翌年夏が来ると、山へ行こうとなる。青年だったときからはるばると生きてきた。この高齢で三人、山へ行こうと言う。
 お誘い、受けてみるか、仕事が入っている時期だから、パスするか。
 うーんとうなって、返事を待ってもらっている。