日本社会

野の記憶   <2>

野の記憶 (「安曇野文芸2019・5」所収の原作) <2> 僕は高校に入って考古学研究会に所属し、遺跡を巡って河内野を歩いた。河内野は南北に長く、中央を石川の清流が流れていた。二上山の麓の傾斜地にはブドウ畑の棚が連なり、その下部は田畑が村々を…

「野の記憶」 <1>

「野の記憶」 (「安曇野文芸2019・5」掲載・原作) <1> けたたましく繰り返す空襲警報のサイレンで目が覚めた。 僕は防空頭巾をかぶって外に走り出る。いつもは灯火管制の闇が深かったのに、北の空は中天まで赤黒い炎に染まっている。 「四天王寺さ…

発達障害の原因は何?

発達障害の子がどうしてこんなに多くなっているのか、現代の何が関係しているのか、と強い危機感をもっていた。そこへ小林純子さんから、こんな記事が届いた。佐賀新聞の記事で、医師の佐藤武さんが書いている。 発達障害の原因として、遺伝子異常、染色体異…

予言

「安曇野文芸」という地方文芸誌がある。今回そこにぼくの評論風エッセイを載せてもらった。明治から現代までの日本の環境の激変、破壊、それをもたらしたものについて、いろんな人の著作や活動を取り上げて、10ページにまとめた。原稿の制限規定は紙面の…

鶴見俊輔伝を読んだ <2>

1995年、「女性のためのアジア平和国民基金」が発足し、鶴見俊輔も「呼びかけ人」に加わった。当時、このことがいろいろな反響を呼んだ。 この基金は、先の戦争中、日本軍の従軍慰安婦とされたアジア諸国の女性たちに対して、民間から募った「償い金」ととも…

鶴見俊輔伝を読んだ

鶴見俊輔伝(黒川創)を読んだ。500ページにもなる力作の伝記だった。昨年11月に出版されている。 伝記の終わりの方に、2015年に亡くなった俊輔の最期のてんまつと、学者で姉の、鶴見和子の散骨のことが記されている。鶴見和子の死去は2006年7月、満88歳…

デモクラシーの形骸化

小田は、阪神大震災の被災者として街の復興を考え、車がないと用がたせない都市は都市ではない、亡くなった人びとの記憶、そこに生きた人々の長い歴史を大切にしながら、麗しい街の復興をめざそうとした。神戸松南地区の住民は自分たちで「復興町づくり憲章…

小田実と玄順恵の対話 2

小田実と玄順恵は、阪神淡路大震災に会い被災した。その復興の過程で、小田は住民と共に泥まみれになって奮闘し、そこで体験し見えてきたのは日本の国の行政の姿だった。 こんなことを語っている。 小田は、地震から数年がたっても、倒壊した家屋の下敷きに…

 前川喜平が語る

「前川喜平が語る、考える」(本の泉社)のなかで、前川喜平が高賛侑と対談している。前川喜平は、元文部科学省の事務次官、加計学園の獣医学部新設をめぐる不正を告発して退官を余儀なくされた人。高賛侑は、私が中学校の教員になって送り出した最初の卒業…

 小さな町の大きな試み <新聞報道に驚く>

今朝の朝日新聞の記事に注目した。小さな町なのに、いや小さい町だからこういうこともできるのだろう。住民の知性と情熱がもたらす町づくりだ。 北海道・下川町、道北の人口3350人、過疎の町。冬は零下30度にもなる。町営住宅26戸、障害者支援施設で120人が…

頻発する大災害 <小田実「生きる術としての哲学」>

小田 実(1932年〜2007年)は、作家であり政治運動家であった。 彼は1961年に、世界を放浪してきた旅行体験記『何でも見てやろう』を出版し、多くの読者を仰天させ、書はベストセラーになった。小田は、べトナム戦争のとき、市民運動「ベトナムに平和を 市民…

  政府の独裁化、政治の頽廃に対する国民の意識

惨憺たるごまかしと法案のごり押し決定の果てに国会が閉幕した。。カジノ法も可決した。 ほくそ笑む安倍首相は「蝉しぐれを聞きながら」別荘で余裕の夏を過ごし、次の布石にいそしむらしい。テレビに映る首相は「蝉しぐれを聞きながら」と笑顔で言っていた。…

日高六郎逝く

日高六郎さんが亡くなられた。ニュースが新聞に載っていた。なんと101歳、ここ10年、20年、日高さんについて報道で見ることがなかったから、生きておられるのか、あの世へ行かれたのか、ぼくの頭の中では過去の人になっていた。 日高六郎さんがぼくに身近だ…

 田中正造の最後の問い

田中正造の絶筆は彼の日記の最後にあった。文語で書かれたその文章を口語に変えると、 「悪魔を退ける力のないものの行為の半分は、その身もまた悪魔であるからだ。業(ごう)によって自分自身に悪魔の行為があるから、悪魔を退けるのは難しい。そこで懺悔が…

 戦争の闇うったえて兜太死す

安全保障関連法案に反対した金子兜太は「安倍政治を許さない」と墨書したプラカードを掲げた。 金子兜太は2月20日に、誤嚥性肺炎による急性呼吸促迫症候群のため死去した。98歳だった。 兜太は戦時中、海軍の中尉だった。 金子兜太は大学を卒業し日本銀行に…

 ドイツの償い  

犯した罪への心の痛みを、鋭く感じる人とそれほど感じない人とがいる。国という大きな組織集団が犯した罪は国家が贖罪しなければならないが、そのとき、国の犯した罪に対して、国民として痛みを感じる人と感じない人とがいる。 日本とドイツの戦後の贖罪の歩…

 内村鑑三、田中正造、石牟礼道子

今年一月に出版された「内村鑑三 悲しみの使徒」(若松英輔 岩波新書)のなかに、「いのちの世界観――内村鑑三から石牟礼道子へ」と題する項があった。そこに次のような文章があった。 <石牟礼道子が内村鑑三にふれた「言葉の種子」と題する作品がある。二人…

 石牟礼道子追悼

「苦海浄土」を教材にできないか。水俣の方言が浜の香のようにつまった石牟礼道子の文章は不知火海の調べだ。水俣病という悲惨の中で生きる人間の魂を感じる。方言は命の響き、文章の香りは魂の輝きだ。公害の原点を文学として描きあげた石牟礼道子の文章は…

 ファシズム

60年、日米安保条約が、国会の強行採決で採決され、有無を言わせぬ強引なやり方で反対運動を押しつぶした。 その時、竹内好は、「政府の強行採決を見過ごすことは、国家権力の独裁制への道を拓くことだ、民主か独裁か、どちらの道を歩むかという分岐点にある…

 今の日本の政治と竹内好の見た8.15

中国文学研究者の竹内好(1910〜1977)は33歳で召集され、中国戦線に配属された。部隊は老兵や学徒兵や寄せ集めの弱卒ばかりで、それでも実戦に出た。彼は殺さなかった。敗戦のとき部隊は洞庭湖にのぞむ岳州にいた。 戦後1953年、雑誌「世界」に「屈辱の事件…

 除夜の鐘

(今も建設が続くサグラダファミリアの大教会) 今日の「天声人語」に、除夜の鐘を「うるさい」と感じて苦情を言う人が出ていることが書かれていた。 「うるさい」「何時までつくんだ」、苦情は3年続き、除夜の鐘をやめた寺がある。それから10数年後、先代…

 反戦をつらぬく人

25日のクリスマスの日に、こんな投書が新聞に載っていた。(朝日新聞・声欄) 投稿者は、飲食業を営む79歳のコリアンだった。私と年齢がほぼ重なる。 「私が2歳の時、兄姉の3人を連れて、母が横須賀にいる父のもとに来日した。韓国のテグには祖父母までの…

 1940年の「東京オリンピック」、2020年の「東京オリンピック」

昨年のリオデジャネイロでの五輪以後、今年になってからも麻薬組織と警官隊との銃撃戦が4000件起こり、700人が死亡しているという。スラムの中学校でバスケットボールをしていた女子中学生が流れ弾で死んでいる。 住民のこんな意見が新聞に載っていた。 「五…

 高齢者をねらう悪徳業者

夕方五時ごろ、ミヨコさんの家の横に一台の軽自動車が止まっていた。ウォーキングから帰ってきたぼくは、ミヨコさんの家に誰か来ているな、と注意してその家の玄関に目をやった。男がガラス戸の前に立っている。ピンポンと鳴らしてもミヨコさんが出てこない…

 今の日本を考えるために50年前を振り返る <3>

1968年8月、「反戦と変革に関する国際会議」で、鶴見俊輔が意見を述べた。 「それぞれの社会で、社会成立の契約を作り直し、それらの連合によって、人類の新しい社会契約を実現すべきです。国家によってあやつられている多数者に譲ることなく、少数者が確信…

 今の日本を考えるために50年前を振り返る <2>

米軍兵士、清水徹雄の「脱走」は、その後どうなったか。 彼は日本国憲法に守られて、日本社会で暮らす道を選択した。しかしいつ逮捕されてアメリカに送られ、牢屋に送りこまれるか分からない。その危険性もあったが、小田実は彼を予備校職員に就職させ、普通…

 今の日本を考えるために50年前を振り返る <1>

今から半世紀前、ベトナム戦争があった。 アメリカ軍によるベトナムへの攻撃は苛烈陰惨を極めた。沖縄の米軍基地からアメリカ空軍の爆撃機はベトナムへ向かって飛び立ち、爆弾を落とし枯葉剤でジャングルを死滅させた。 その戦争になんと日本人が兵士として…

  リトアニア杉原千畝記念館修復をした人たち

リトアニア国の杉原千畝記念館の修復をやっているボランティアのニュースを見た。その工事に携わっている彼らは、元暴走族だったり、元暴力団員だったり、経歴はいわゆる「札付き」の人であるけれど、生き方を変えた彼らの仕事はすばらしく、工事が完成した…

 先回りした服従

「ドイツには「フォラウスアイレンダー・ゲホルザム」という言葉があります。忖度(そんたく)と同じように、訳すのは難しいですが、直訳すれば先回りした服従という意味です。なぜ、ホロコーストのような大量虐殺が起きたのかを説明する際によく使われます。…

 公共交通から未来を考える

マイカー社会になって、ほとんどの人が仕事も買い物もマイカーで行く。安曇野の乗合バスはとおに乗客が減り消えてしまった。 そうしてマイカーを持たない高齢者の足がなくなってしまった。89歳のミヨさんは、マイカーを離せない。医者へ行くのも買い物も、…