公共交通から未来を考える

 マイカー社会になって、ほとんどの人が仕事も買い物もマイカーで行く。安曇野の乗合バスはとおに乗客が減り消えてしまった。
 そうしてマイカーを持たない高齢者の足がなくなってしまった。89歳のミヨさんは、マイカーを離せない。医者へ行くのも買い物も、マイカーがあるからできる。けれどもいつかは運転を断念する時が来る。そのとき、どうする。
 安曇野市には「あづみん」という公共交通システムがある。会員登録して電話で予約すれば、その時間に乗合タクシーのワゴン車が来て、行き先までそれぞれの乗客の目的地に寄りながら順番に送ってくれる。時間がかかるが費用が300円だから有りがたい。ところが、運行時間に制限がある。8時から午後5時までの運行で、午後の最終は4時40分までに予約を入れなければならない。先日、夫婦で東京から帰ってくるとき、東京で予約を入れたが、最寄りの駅に着くのが午後5時30分を過ぎることになり、それでは乗車に間に合わない。しかたなく途中で予約を取り消した。結局駅からタクシーに乗らざるを得ず、代金は1600円。
 ミヨさんは、事情があってマイカーが一時なかった。その時に体調が悪化し医者へ行かねばならなくなり、タクシーを呼んだ。病院まで往復タクシー。代金は1万円をはるかに超えた。
 ぼくが安曇野に来る前、住んでいた奈良の御所市では、行政が市内のいくつかのコースに循環バスを走らせ、そのバスの来る時刻に停留所へ行けば、無料のバスに乗って、最寄りの電車の駅まで行けた。しかしコースから外れたところに住む人は、バス停まで行くのが大変だった。便数も少ないから、利用するのも限られてくる。
 そこに住んでいたとき、一度、最寄りの駅に帰って来るのが午後11時を回ったことがある。あに図らんや、駅前のタクシーは早々と引き揚げてしまっていて、乗り物は何もない。しかたなく家まで歩かなければならなくなった。金剛山の麓の村まで上り坂もある真っ暗な道を1時間以上歩いて帰る。真夜中にたどり着いた家、疲れ切った家内は、口もきけなかった。
 これから地方の市町村では過疎化も進むだろう。高齢化も深刻になるだろう。そうなると、公共交通機関をどうするか。行政の施策は何に重点を置くか、何を優先するか。
 JR大糸線の運行は、1時間に1本。乗客が少なければ、もっと削減するだろう。営業から考えるとそうなる。しかし本数を減らせば乗客も離れる。「アルプス交響曲」の異名もある大糸線の列車の窓からの景観はすばらしい。安曇野、大町、仁科三湖、白馬、アルプス連峰、この自然を求めてやってくる観光客や登山者・スキー客は、海外からも増えている。「蒸気機関車でたどるアルプス交響曲の旅」というような企画がどうして出てこないのだろうか。乗客はぐんと増えるはずだ。
 関西大学教授〈交通経済学〉の宇都宮浄人氏が、朝日新聞にこんな記事を書いていた。


 <JR北海道は昨秋、路線の半分を「単独では維持困難」と発表した。最低限の移動手段はバスで確保できるという意見もある。
 私が今春から在外研究で滞在するオーストリアでは、地方鉄道の積極活用を始めている。オーストリアは北海道と類似点が多い。面積はほぼ同じで大都市も少なく、自家用車の普及で鉄道利用者が減り、地方で廃線が進んだが、今は州政府が中心となり鉄道に新規投資している。
 日本で鉄道への投資というと、財源が問題になる。鉄道は独立採算が原則で、交通分野の公的補助は道路が主体だからだ。国費だけでも道路は鉄道の10倍以上の予算がある。オーストリアは、連邦予算で2000年に道路とほぼ同額だった鉄道予算が、11年には道路の2.5倍になった。
 東部の都市ザンクト・ペルテンから巡礼地マリアツェルまで山岳地帯を走る全長84キロのマリアツェル鉄道は、新車両投入と路線改良で所要時間を約30分短縮させ、1日上下11本だった列車本数を倍増させた。その結果、16年の夏のシーズンは、14年比で16%の乗客の伸びを示した。むろん、乗客が増えても投資の回収はおろか、運行経費も運賃収入では賄えていない。
 欧州では、鉄道は収益事業とみなされていない。公的な支えが必要な「社会インフラ」と位置づけられている。
 重要なことは、過度にクルマに依存した社会が環境悪化など様々な問題を引き起こし、生活の質を低下させ、地域を衰退させるという認識を共有していることだ。EUは01年の交通白書で過度な道路依存から脱し、あらゆる移動手段の「バランス」を取ることを目標に掲げた。
 地域衰退の悪循環を打破するには、公共交通が、住民が思わず乗りたくなる利便性や乗り心地、さらには観光客を引きつける魅力も備える必要がある。地方の生活の質を上げれば若者が流出せず、観光客が増えれば地域も再生する。公共交通は「最低限の移動」をかろうじて守るだけの存在ではなく、鉄道についても目先の収支ではなく広く社会にもたらす効果を考え、活用しているのである。
 新たな財源を求める必要はない。道路に偏った公的資金の配分を若干変えるだけでいい。日本も成熟した先進国の一員として欧州の姿を謙虚に学び、地方鉄道への新規投資で地域再生につなげるべきだろう。>


 オーストリアは、原発もゼロにした。考え方の方向が日本と違う。
 市民の暮らしが豊かになるということはどういうことなのか。日本の地方に住む高齢者で、子どもや孫と暮らしていない人たちの将来はどうなるだろう。考えていると不安になってくる。