予言

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 「安曇野文芸」という地方文芸誌がある。今回そこにぼくの評論風エッセイを載せてもらった。明治から現代までの日本の環境の激変、破壊、それをもたらしたものについて、いろんな人の著作や活動を取り上げて、10ページにまとめた。原稿の制限規定は紙面の10ページだから、だいぶ省略しなければならなかった。

 記事の中に、吉江喬松の「予言」を書いた。

 <吉江は信州塩尻で生まれ、早稲田大学卒業後、国木田独歩の画報社に入り、その後パリ大学に留学した。

 独歩のエッセイ「武蔵野」発表から六年して、日露戦争が勃発する。吉江喬松は「自然の寂光」を書いている。そこに次のような文章がある。

 「日本の帝都の周囲には、パリの四周に見る如き大きな森林公園が保存せられていない。日本の大都市は都会を保護するための大きな防風林を持つべきである。今ではわずかに残っている武蔵野の雑木の林も松の林も次第に伐り取られて、風の通路は以前よりは一層自由になり広闊になって、国境連山は中途に何のさえぎるものもなく首都の背後から寒冷の大気を縦横に浴びせかける。」

 続いて喬松は謎のようなことを書く。寒波が流れ去った日暮から、不思議な沈黙が大地を支配し、地平線の果てに真紅の雲の群が細長くなびいて、夜の十時頃まで消えない。それは何を意味するのか解らないが、大東京の建設が完全に出来上がった後までも、大都市の中から生存の姿を消し去った後までも残紅は何かを暗示しつづけるだろうと。>

 吉江は何を言おうとしているのだろう。これは何かを予感し、未来を予言しているのではないか。東京が滅ぶ時が来る。それはどういうことだろうか。

 予言から二十数年たった大正十二年九月、関東大震災が起きた。家倒壊、強風が吹き荒れ、ちょうどお昼時で火を使っている人が多かったから、火災があちこちで起こり、四十五万戸の家が焼け、十万人の死者が出た。第一回の東京焦土であった。江戸時代にも明暦の大火など、焦土となる火災は過去に何回か起きているから、歴史上では第一回とは言えないが、明治以降では第一回になる。

 昭和に入って戦争勃発、東京大空襲に至る。空襲は百六回、罹災者が百万人を超えた。これが東京焦土の二回目。 

 これらの巨大破壊の後には、巨大な復興、開発を必要とした。山々の木が伐採され材木にされた。

 古から現代にいたるまで、森の破壊、消滅の原因は、都市建設、軍事、経済開発が主要なものである。そして都市は膨張した。それは巨大な自然破壊をもたらすものであり、結果、子どもの成長に必要な環境をも消滅させた。

 

 吉江はこのような未来を予言したのではないか。自然災害と、文明災害ともいえるものの襲来だ。そこへもってきて今、社会の中で何が起きているか。人間の生活、精神、心の世界の破壊だ。

 首都直下型地震が90パーセント起きるという予測がある。南海トラフ地震もそう予言されている。にもかかわらず原子力発電を性懲りもなく稼働させようとする。

 

 「野の記憶」にぼくは、何人かの予言を記した。田中正造は「亡国に至るを知らざれば即ち亡国」という予言を、足尾鉱毒事件と谷中村滅亡の中でおこなった。その予言が戦争と敗戦となって現れ、次に水俣をはじめする環境破壊、人間破壊となって出現した。

 不気味な何かが文明の底を音たてて進んでいる気がする。