石牟礼道子追悼


 「苦海浄土」を教材にできないか。水俣の方言が浜の香のようにつまった石牟礼道子の文章は不知火海の調べだ。水俣病という悲惨の中で生きる人間の魂を感じる。方言は命の響き、文章の香りは魂の輝きだ。公害の原点を文学として描きあげた石牟礼道子の文章はぜひ子どもらに感じさせたい。そう考えて、自主教材にしたのは1970年だった。
 胎児性水俣病になった孫の杢太郎へ語りかける爺の語り。
 杢太郎はテテなし子、母は胎児性水俣病の杢太郎が生まれたときに逃げ出してしまった。その一節を朗読する。

 「こやつぁ、ものをいいきらんばってん、ひと一倍、魂の深か子でござす。耳だけが助かってほげとります。何でもききわけますと。ききわけはでくるが、自分が語るちゅうこたできまっせん。
 わしも長か命じゃござっせん。
 わが命惜しむわけじゃなかが、杢のためにゃ生きとろうごてござす。
 じじばばより先に杢の方に、はようお迎えの来てくれらしたほうが、ありがたかことでございます。この子ば葬ってから、一つ穴に、わしどもが後から入って抱いてやろうごたるとばい。
 杢よい。お前や、聞きわけのある子じゃっで、よう聞きわけろ。お前どま、かかさんちゅうもんな、持たんとぞ。お前やのう。九竜権現さんも、こういう病気は知らんち言わいた水俣病ぞ。
 杢よい。かんにんせろ。かんにんしてくれい。
 わかるか杢。お前や、そのよな体に生まれてきたが、魂だけは、そこらわたりの子どもとくらぶれば、天と地のごつお前の方がずんと深かわい。
 泣くな、杢。じいやんの方が泣こうごたる。
 杢よい。お前が一口でもものが言えれば、じいやんが胸も、ちっとは晴れるって、言えんもんかいの。
 杢よい。じいやんな、久しぶりに焼酎のうで、ちった酔いくろうた。
 杢よい。こっち、いざってけえ。ころんちころんち、ころがってけえ。
 きたかきたか、杢。じいやんがひざまで、ひとりでのぼってみろ。おうおう、指もひじも、こすり切れて、血の出とる。
 杢よい。お前こそがいちばんの仏さまじゃわい。じいやんな、お前ば、拝もうごだる。お前にゃ煩悩の深うしてならん。
 あねさん、こいつば抱いてみてくだっせ。軽うござすばい。木で造った仏さんのごたるばい。よだれ垂れ流した仏さまじゃばって、あっはっは、おかしかかい、杢よい。
 じいやんな、酔いくろうたごたるねえ。ゆくか、あねさんに。ほおら、抱いてもらえ。」
 
 「あねさん」というのは石牟礼道子
 池澤夏樹が追悼文を新聞に書いていた。その最後に池澤はこう書いた。

 「この人自身が半分まで異界に属していた。それゆえの現世での生きづらさが文学の軸になった。そして水俣病の患者たちとの連帯が生まれた。相互の苦しみを通じて、回路が生まれた。去年、石牟礼さんは『無常の使い』という本を出された。
 <50年前まで、わたしの村では、人が死ぬと『無常の使い』というものに立ってもらった。>と序にある。二人組で正装して、行った先で、『きょうは水俣から無常のお使いにあがりました。お宅のご親戚の誰それさんが、今朝がた、お果てになりました』と口上で述べる。
 これは石牟礼さんがこれまで書かれた追悼文を集めた一冊である。たくさんの人たちと深い魂の行き来があったことを証する名文集である。」
 
 『無常の使い』、読みたい。