田中正造の最後の問い


 田中正造の絶筆は彼の日記の最後にあった。文語で書かれたその文章を口語に変えると、

 「悪魔を退ける力のないものの行為の半分は、その身もまた悪魔であるからだ。業(ごう)によって自分自身に悪魔の行為があるから、悪魔を退けるのは難しい。そこで懺悔が必要だ。ざんげ洗礼はこれまでの悪事を洗浄するものであるから。」
 この後にこうある。文語のままに書く。
 「何とて我を。」
 そして倒れた。
 「田中正造松下竜一  人間の低みに生きる」(新木安利 海鳥社)のなかにこの部分のことを新木が書いていた。

 「何とて我を。」という言葉は、イエスが十字架にかけられた今わの際に発した言葉、『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』(わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか)であるが(新約聖書マタイ伝)、これだけではイエスは絶望を表白しているようである。しかし、これは旧約聖書詩篇22の冒頭の言葉であり、次第に神の栄光を讃える言葉に転調していく。‥‥このことを正造は知っていただろうか。
 ‥‥島田宗三は最期の正造に話しかけた。
 『今の世の中は、雨降り風荒び、暗雲天にみなぎっているありさまですから、一個のランプを出しても消されてしまうのは当然かもしれません。しかし、お言葉は真理ですから――光ですから――光はたとえ消えても、一度光ったものは無かったのだということはできません。また決して負けたのではないと思います。たとえ瞬間といえども一度照らしたものは、光に違いありませんから永久に残ります。こんなことを申し上げるのは、まことに生意気のようですが、どうぞそのおつもりで、お心、遼遠にのぞんでください――私も永久に忘れません。』
 正造はうなずいて『ありがとう、ありがとう』と応えた。」
 臨終の床に木下尚江がついていた。大正二年九月四日、「下野の百姓」正造は不屈の生涯を終えた。
 「豆腐屋の四季」を書いた松下竜一は自然環境を守る運動を起こし、「民衆の敵」と闘い続け、2004年に生涯を終えた。
 田中正造は永久に日本の民衆史の中に生きる。石牟礼道子もまた水俣と共に民衆史の中に生きつづける。