内村鑑三、田中正造、石牟礼道子



 今年一月に出版された「内村鑑三 悲しみの使徒」(若松英輔 岩波新書)のなかに、「いのちの世界観――内村鑑三から石牟礼道子へ」と題する項があった。そこに次のような文章があった。

 <石牟礼道子内村鑑三にふれた「言葉の種子」と題する作品がある。二人を結びつけているのは、足尾銅山鉱毒事件と田中正造である。内村鑑三は、足尾銅山鉱毒事件を追及する田中正造を強く支持する文章を発表しているだけでなく、1901年以降、一度ならず足尾を訪れ、現地の人々との交わりを深めている。
 「苦海浄土 わが水俣病」の作者である石牟礼道子にとって、田中正造はまみえることのなかった先師のような存在だった。「言葉の種子」で石牟礼道子は、
 「古代の英雄というものは、ひょっとしてこういう人柄ではなかったかと思わせるような、稚純性に貫かれたすぐなる文章にひきつけられて、ここ二月ばかり内村鑑三を読んでいる。」
 「稚純性」という言葉は、あまり広く用いられているわけではない。岡本かの子が、
 「天地もまだ若く、人間もまだ稚純な時代であった。自然と人とは、時には獰猛に闘い、時には肉親のように睦びあった。けれどもその闘うにしろ睦ぶにしろ両者の間には冥通する何者かがあった。自然と人とは互いに冥通する何者かを失うことなしに、あるいは争いあるいは親しんだ。」と書いているが、石牟礼も岡本の一文を読んだのかもしれない。>
 稚純であるとは、人間が自然と対決するのではなく、親子のように結びつき、睦みあい、心と心が見えないところでつながる、すなわち「冥通」している状態であるという。
 <かつて人は、自らが自然の一部であることを深く認識し、それに生きる場所を与えられているという自覚と共にあった。だが、いつからか人間は一方的に自然との密約を破棄する。その裏切りが如実に現れたのが公害だった。>
 石牟礼道子は、「生類(しょうるい)」という言葉を、人間だけでなく生けるものすべてを包含する言葉として用いた。公害は、人間が人間に対して行なった裏切りであるだけでなく、人類が「生類」全体に対して行なった存在への冒涜である。「生類」全体の復活、それは内村鑑三の世界観でもある。水俣を生きる石牟礼道子田中正造の思想に強く共鳴する。
 「国民の精神の失せた時、その国は既に亡びたのである。民に相愛の心なく、政府役人と資本家が結託して農民・労働者からあぶらをしぼるにいたっては、憲法がいかに立派でも、軍備をいかに安全にしても、大臣がいかに賢くても、教育がいかに高尚でも、このような国民はすでに亡国の民である。」
 著者の若松英輔は、「国民の精神」の「精神」の意味するのは、「霊性」であるととらえている。