今の日本を考えるために50年前を振り返る <1>


 今から半世紀前、ベトナム戦争があった。
 アメリカ軍によるベトナムへの攻撃は苛烈陰惨を極めた。沖縄の米軍基地からアメリカ空軍の爆撃機ベトナムへ向かって飛び立ち、爆弾を落とし枯葉剤でジャングルを死滅させた。
 その戦争になんと日本人が兵士として従軍していた。その事実を知ったのは、小田実の「『ベ平連』・回顧録でない回顧」によってであった。その兵士の名は清水徹雄氏。
 彼は米軍を脱走した。当時、小田実鶴見俊輔開高健などが中心になって、ベトナム反戦市民運動を展開し、だれでも入れるデモを全国で行なっていた。それが「ベトナムに平和を!市民連合ベ平連)」だった。
 「ベ平連」は、アメリカ軍の兵士に脱走を呼びかけ、脱走兵が現れると秘密裏に日本のどこかに匿い、スウェーデン等の国に逃がす隠密活動もした。実行組織は、「JATEC 反戦アメリカ軍脱走兵援助日本技術委員会」だった。空母イントレピッドから四人の兵士が脱走したのは1967年の秋だった。そして翌年、清水徹雄が脱走する。1968年10月、「ベ平連ニュース」は、清水の出した声明を掲載している。
 次の文章がその声明である。

 「私は、アメリカ陸軍兵士として、ベトナムで戦った日本人です。
 私は日本に帰休したこの機会に、アメリカ陸軍を離脱し、日本にとどまって、平和な市民としてくらす決意をかためました。
 私がアメリカ陸軍を離れる決意をしたのは次のような理由からです。
 第一に、日本人である私は、平和憲法をもつ日本で、私はまったく自由に、平和な市民としてくらすことができるはずであり、またそうなることを望んでいます。
 第二に、ベトナム戦争は意味のない戦争をたたかっているからです。それに日本人である私がどうしてベトナムで殺し合わなければならないのか。第一ベトナム戦争は、何の戦争か?
 ベトナムで多くの友だちも、『この戦争は、無意味な戦いだ。クレイジーな戦争だ』‥‥と言っています。
 第三に、私は、ベトナム戦地へ行って、はじめて戦争の恐ろしさを知らされました。ベトナム戦争は、決してテレビや映画のようなカッコよいものではありません。私の目の前で、アメリカ軍兵士は、どこからかとんでくるロケット弾で殺されました。一シュンにして若い生命がフッとんでしまいました。アメリカ陸軍離脱を決意するまでに、ずいぶん考え悩みぬきました。他にも私のように、いたし方なくアメリカ軍に入り、戦い苦しんでいる日本人がいるとすれば、私のこの問題がひとつの先例になれば、と思います。
 私が、戦争のことをもっと真剣に考えるべきだったこと、平和憲法をもつ日本人としてあまりにもたやすくアメリカの軍隊に入ったこと、そのことをいま深く反省しています。
 日本に帰って、日本のあまりにも平和なくらしを知り、自由に、平和な市民としてくらしたい、また日本憲法は、私が平和に暮らせるように守ってほしいと思います。
 『日本の市民、日本の政府が、私の行動を支持してくれるよう希望します。』
                      1968年9月16日」

 清水がなぜ米軍に入隊したか。それは、アメリカに滞在していて、ビザの延長をしなければならなくなり、そのためには徴兵検査を受けて徴兵され、兵隊に行った方がアメリカで暮らすうえで有利ではないかと考えたからだった。
 小田実は、こう書いている。
 「アメリカは、清水氏のようにレッキとした『外国人』も平気で徴集して兵士に仕立て上げる国であり、したがって私たちが支援した『脱走兵』にも、韓国人、ドイツ人、台湾人がいた。いろんな国籍の人間が混在していることから考えれば、アメリカ合衆国軍は本来がまさに『多国籍軍』であるといっていいにちがいない。」
 「清水氏が日本という祖国に来ていても、あくまで彼はアメリカ合衆国の命令、法律もろもろの支配下にあって、日本の主権は彼に及ばない。そうアメリカ合衆国は断じる――いや、そう断じられるのか、ここで事態は複雑なことになる。さらに事態を複雑化していたのは、日本がアメリカと『安保条約』を結んだ『同盟』国としてあったことだ。その条約によって、アメリカ軍は日本の内部に基地を持ち、アメリカ合衆国兵士は必要とあらば――そうアメリカ合衆国政府が認定すれば、いくらでも自由に日本に出入りすることができる。自由にというのは、日本政府の入国管理の規則――ひいては法律をまったく無視して、ということだ。」
 「しかし、その法律をまったく無視された日本は、その根本となるはずの憲法として、軍備と戦争の放棄を高らかにうたい上げた『平和憲法』をもつ国なのだ。清水氏は、アメリカ軍の兵士であるとともに、『平和憲法』国家の市民でもある。」
 「清水氏は日本に帰ってきた日本人『脱走兵』だ。アメリカははたして日本政府に逮捕を要請するのか、そして日本政府はその要請によって自分の祖国日本に帰ってきて平和に暮らしたいという日本人を逮捕してアメリカの牢屋に送るのか。」
 さすれば、そういう憲法をないがしろにした無法なことすべてを日本の市民として許していいのか、小田実たちべ平連の関係者は葛藤し議論した。
 アメリカ政府は、清水をあくまでも自国の兵士、そして脱走兵として取り扱おうとしていた。日本政府は、アメリカ政府に追随して同じことをしようとしていた。両政府の「法」的根拠は「日米安保」だった。だがそれは憲法にそむくことになる。
 小田実は思った。清水の行動によって、三つのことが試されている。一つは日本国憲法が試されている。二つには一切の平和運動が試されている。三つには、戦後の民主主義が試されている、と。
                       つづく