政府の独裁化、政治の頽廃に対する国民の意識



 惨憺たるごまかしと法案のごり押し決定の果てに国会が閉幕した。。カジノ法も可決した。
 ほくそ笑む安倍首相は「蝉しぐれを聞きながら」別荘で余裕の夏を過ごし、次の布石にいそしむらしい。テレビに映る首相は「蝉しぐれを聞きながら」と笑顔で言っていた。

 ぼくは朝4時過ぎに起きてランを連れて散歩に出る。5時ごろに日が昇る。そこから熱波がやってくる。背丈以上蔓を伸ばしたキウリやらササゲやらのジャングルの中から、「おはよう」と声がかかった。
「この暑さ、たまりませんなあ」
 姿を見せないで声だけが聞こえる。
 家に帰って7時まで外作業をしていると、汗が滴り落ちる。政治にたずさわる人たちは涼しい建物のなかで、「国民の皆さん、熱中症に注意しましょう」、と言ってるが、庶民の暮らしなんか屁とも感じていない。このような最悪の季節に2020年オリンピックをやろうとしている。野外の競技開始時間を午前7時半に早めたとか、ニュースで言っていたが、その程度の変更ぐらいでは、気象の悪条件は変わらない。

 あれだけ政府が無茶苦茶しても、国民からの批判の動きは盛り上がらない。なぜなんだ。諦めている? なるようにしかならないからさ?
 母国では人が集まれば政治の話になる、と書いていたのは同志社大学イスラエル人学者フェルドマンさんだった。イギリスではパブ、ドイツではカフェ、人が集まると政治が話題になる。日本では政治の話は出てこない。「平和」ボケか。

 日本人の政治に対する関心と行動がこんなにも弱くなった原因は、ぼくは労働組合の弱体化・劣化も大きいと思う。ぼくは日教組の一員だったが、1970年代、大阪で部落解放運動と教職員組合が共闘していたとき、自治労の組合員もNHK労組の組合員も地域住民として運動に加わってきた。市役所の職員は自治労の運動に積極的に加わり、市政に対して住民の視点をもって闘うこともしていた。
 組合に入らず、労組は弱体化した、それがゆえに労働者の政治意識は沈滞した。

 独立行政法人・労働政策研究研修機構の発表しているデータがある。
 労働組合の組織率だ。
<組織率>
 1950年  57%
 2017年  17%  パートタイム労働者の推定組織率 7.9%
<組合員数>
 1947年   700万人弱
 1975年〜1995年   1200万人強
 1995年       1270万人
 2017年        998万人   パートタイム労働者 推定121万人

 労働組合がこれほど弱体化してしまっては、政治は政治屋の思い通りになる。権力的な組織構造・活動に対して、別の視点から考え、間違いを指摘する組織が存在しない社会は、忖度、迎合、諦め、異論排除、上意下達の社会になる。
 麻生副首相が発言しているではないか。「新聞を読まない人は全部自民」。麻生の意図は何?