小田実と玄順恵の対話 2

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 小田実と玄順恵は、阪神淡路大震災に会い被災した。その復興の過程で、小田は住民と共に泥まみれになって奮闘し、そこで体験し見えてきたのは日本の国の行政の姿だった。 こんなことを語っている。

 

 小田は、地震から数年がたっても、倒壊した家屋の下敷きになって死んだ家族や子どもを悼む花束、オモチャ、キャラメルなどが供えられている被災家屋の跡を毎日のように歩き回っていた。それらの死は、少年の頃の戦争による「難死」をふたたび想起させるものだったし、小田にとって「難死」はいかなる形であれ、こだわりつづけた文学的課題の一つでもあった。これは、いかに生きるかという小田自身への問いであり続けたに違いない。

 小田が、死者を鎮魂する心に十分寄り添いながら思っていたのは、

「人は殺されてはならない」

ということだった。震災直後から、小田は、人間は殺されてはならない、棄民にされてはならない、と孤軍奮闘し、市民会議による国の制度「被災者生活再建支援法」(1998年)を国会で成立させたのは、運動を開始してから三年後のことだった。

 それは、「住専」の破綻に対しては公的資金を投入する政府が、震災で家や財産をなくした被災者にはビタ一文も出さないことに憤りを感じ、「これが人間の国か」と愕然としたからだった。

 「市民=議員立法」運動と銘打ったこの活動は、市民が自らつくりあげた「市民立法案」を議員に提案し、それに賛同した超党派の議員がさらに「議員立法案」として練り上げ、それに内閣法制局が手を入れ議会に提出して実現させたものだった。この運動のプロセスから自然な形で出来上がったのが、その法案に賛成する「市民=議員立法」党だった。

 

 この活動実践は重要な提言をしてくれている。

 これは政党政治を立て直すのに役だつのではないか。「主権は国民にあり」としながら、国民は政治に関与することが選挙以外にはほとんどできず、仮面をかぶった政治家たちの思うがままにさせてきた。主権在民のデモクラシ-に近づける道に踏み入れば道が見えてくるのだ。