戦争の闇うったえて兜太死す


 安全保障関連法案に反対した金子兜太は「安倍政治を許さない」と墨書したプラカードを掲げた。
 金子兜太は2月20日に、誤嚥性肺炎による急性呼吸促迫症候群のため死去した。98歳だった。
 兜太は戦時中、海軍の中尉だった。
 金子兜太は大学を卒業し日本銀行に入行、すぐに海軍経理学校を経て、南方戦線に送られた。昭和二十年、トラック島で軍隊は飢餓状態におちいり、戦死者は1万を超した。敗戦を迎え捕虜になり、1年3カ月の間、米軍の作業に従事した。日本へ引き揚げる最後の船の甲板上で兜太の詠んだ句。
 
   水脈(みお)の果て 炎天の墓碑を 置きて去る


 兜太は昭和30年に、第一句集「少年」を出版。


   墓地は焼け跡 蝉(せみ)肉片(にくへん)のごと 樹樹に


 富沢赤黄男という新興俳句の俳人がいた。軍隊に三回も召集され、軍隊生活が長かった。軍事郵便で戦場から前線俳句を日本に送った。


   やがてランプに戦場のふかい闇がくるぞ


 この句の前書に、「潤子よ、お父さんは小さい支那のランプを拾ったよ」という、幼い娘への言葉がついている。大岡信は、この句について、
 「拾ったランプのホヤに、やがて戦場の深い闇がやってくるという暗い絶望」
と書いた。富沢赤黄男は1962年59歳で没した。大岡信は昨年85歳で亡くなった。

 戦場経験者は、戦争の闇を作品に遺した。戦争を知らない者たちは、その遺品を拾いあげ、その人の想いを受け止めねばならない。