いつ機は熟すのか



 ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが一つになった無血革命という奇跡から24年がたつ。ベルリンの壁崩壊のニュースは、世界を驚嘆、感動させ、人間への信頼と希望を生み出す歴史的大事件となった。南北に分かれて、今なお戦争状態にある韓国と北朝鮮も、分断の壁を乗り越えて平和的に統一できるときが来るのだと期待感が生まれた。
 しかし、朝鮮半島の情況は、変わることなく対立を激化させ、憎悪をエスカレートさせている。危機的状況に至るとすれば、独裁的な指導部の脳が暴発するときである。この戦争は破滅的なものとなるだろう。
 ヨーロッパが危機を脱し、統一の方向に動いたのはなぜか。ドイツの学者、カール・フォン・ヴァイツゼッカーが、こう語っている。

 「1989年にヨーロッパで成就した平和革命は、1945年以後のヨーロッパ現代史のなかで最も重要な意味を持つ大事件であった。この革命は機が熟し、時満ちて発生し、成就した。誰一人予測できなかった事件だった。モスクワ共産党指導部は、軍事力で阻止、鎮圧できたはずであった。ところがそれはなかった。ソ連当局はなぜ阻止や鎮圧の行動に出なかったのか。
 第二次大戦以降、ヨーロッパは米ソの超大国による主導権争いに長く支配されてきた。ヨーロッパの未来は、二大勢力間の対立と紛争が新たな戦争、すなわち第三次世界大戦へと展開していくか否かにかかっていた。破局がそれまで回避できてきたのは、核兵器の投入に対する不安があったからである。しかし、軍拡競争は止まることなく、敵対感情は醸成され続けた。敵対心のために相互理解は困難だった。
 そうした米ソ超大国の対立関係のなか、ヨーロッパの諸国民は深刻にして、骨身にしみる苦難を味わってきた。ヨーロッパのすべての住民は、40年を超える長い年月、イデオロギー対立と政治的分断のど真ん中でもがき苦しみ、悩みながら生きてきた。それは、自由を欠落させた社会のなかに人間がおかれていたことを物語る。だからこそ、民衆はこの自由を渇望した。その結果、1989年ドイツで無血革命が成就した。分断と対立を克服する歴史的必然性が、そこにあったということである。」(「自由の条件とは何か ベルリンの壁崩壊からドイツ再統一へ」ミネルヴァ書房

 北朝鮮の民も韓国の民も、深刻にして、骨身にしみる苦難を味わってきている。イデオロギー対立と政治的分断のど真ん中でもがき苦しみ、悩みながら生きている。その点ではドイツの人たちと共通するものがあるはずである。
 しかしあるいは、そういう意識はまだ熟成していないのであろうか。ヨーロッパでは、分断と対立を克服する歴史的必然性は、国民のなかから生まれてきたのだが、やむにやまれぬ思いにまで至っていないということであろうか。けれども、振り上げる拳が核兵器であるから、ことは深刻であり、危機的である。何が今の情況に至らせているのだろう。
 日本国、日本人にも果たす役割があり、アジアの平和と共生にむけて、やるべきことがある。朝鮮半島の分断のもとには、日本の植民地支配の歴史がかかわっているのである。