日本の歴史 <堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像」<2>

【一つの資料として】

 日本が「大東亜戦争」と呼んでいた戦時において、国民に対する思想統制は徹底的に行なわれた。左翼思想の持ち主を見つけ出すために官憲は市民の中に入りこんだ。
 自伝小説、堀田善衛「若き日の詩人たちの肖像」のなかに次のような出来事がつづられている。

 若者はアパートに住んでいた。朝早くにドアをたたく音がした。
「××! ××! いるか、あけろ!」
 怒鳴り声は、餌食をすでに確認したような低い声だった。背筋から尻のほうまで一度に寒くさせるような迫力があった。

 「権力は、暴力と死を内実としてもつ。その核心にある暴力と死から、やや遠ざかったところにあって、暴力と死という核が、事務手続きという蜘蛛の巣で見えないようになっているという、そういう程度のものを行政と呼び、そこから次第次第に、この核に近接していく全過程が政治とも権力ともいわれるものであるという、そういう政治学を、法学部政治学科に学んでいる学生は、学校の講義などとはまったく無関係に、もうすでにもたされてしまっていた。」

 張り巡らされた行政の蜘蛛の巣に隠された暴力と死にとらえられていく過程、そこに政治権力の実態があることを若者は体験で知っていた。
若者がドアを開けると、鳥打帽をかぶった眼の険しい男が立っている。
「××ですが、何ですか」
「何ですかだと‥‥、服を着ろ、警察の者だ」
 男は部屋の中に入ってきた。
「あのテの本をどこにやった?」
「あのテって‥‥?」
「同じことをなんべん言わすんだ。マゲじるしに、レーに、ローザだよ」
 マゲはマルクス・エンゲルス、レーはレーニン、ローザはルクセンブルグのことだ。若者はそれらの本をすでに古本屋に売り払ってしまっていた。売ったと言うと、刑事はどこへ売ったと訊く。
「神田の古本屋で、名前は忘れてしまいました」
「忘れたと? いい加減なことを言いやがる」
 刑事は、若者が留守の間に、家主に圧力をかけて部屋に入り、すでに調べ上げていたのだ。若者は理由も何もなし、刑事に拘引されていった。引き立てられるとき、若者はシャツを1枚余計に着こんだ。彼の同級生のことがあったからだ。
 同級生2人が学校の授業中に呼び出され、警視庁へ送られたのは一ヶ月前のことだった。そのうちの1人は地下留置場で急性肺炎になり、死んだ。2人は映画研究会の主要メンバーだった。彼らは小さな雑誌を出していて、それにフランス映画についての論文を書いていた。
教室から拘引されていく二人の顔色はまたたくまに白くなり、粉でも吹いたかのように青ざめた。二人は眼で級友たちに別れを告げた。
 クラス担任のドイツ語の教師は立ちすくんでいた。やがて無言で、ぴくりと体を二つに折って机に両手をつき、頭を垂れた。長い髪の毛がばらばらと崩れ落ちた。それも一瞬のことで、本も何も机の上に放り出して廊下へ飛び出していった。
「なんだ、どうしたんだ」
 学生の一人が叫んだが、誰も何も言わなかった。言わなくても、事態はすでに明瞭だった。
 十分ほどして教師がもどってきた。眼を伏せて、首をたれ、しばらく教壇に立っていたが、やはりひとことの言葉も言わずに、のろのろと本を片付け、黙ったまま教室を出て行った。握りこぶしで眼をぬぐい、ドアをたたきつけるように閉めていった。彼は教え子を、その授業の現場で奪われたのだ。
 留置場に入れられた二人のうちの一人は、外交官のせがれで、父の任地はフランスだった。彼は地下室で殺された。
 若者はそのことを思い出していた。若者は腰縄で縛られ、刑事に連れられていった。電車の駅に来て、改札を通るとき、駅員の食い入るような眼に恐怖の色があった。それが逆に若者の心に恐怖を呼び起こした。この刑事が、この地域に多く住んでいる文筆家や学生を連行していくのを駅の改札係の青年は何度か見てきたのだ。連行されていった人びとは容易に戻ってこないことを駅員は知っていたのだ。

 この時代、思想犯狩の対象は、社会主義思想の持ち主にとどまらない。そういう本を持っているだけでもやられた。自由主義の思想をもつものも、戦争や軍部を批判するものも、「非国民」にされた。法律によって国民が総動員されるようになると、国民も権力の協力者になった。