淀川中学校2期生同窓会<2>



 午後5時に始まって9時に終わった同窓会だった。酒が入り、卒業生のうたう歌がマイクに乗って響き渡り、ぼくの聴き取りにくくなった耳に、横に座った話し相手の言葉が要所要所抜け落ちる。何度ももう一度聞こうと、相手の口元に耳を近づけねばならなかった。
 「おう、畑君、どうしたの。すっかりやせたやないか」
 「はあ、‥‥ありまして」
と中央のはげた頭をぼくに見せた。頭には大きな傷跡があった。山が好きで、1年生から登山部の主要メンバーとして登山をしてきて、高校生になっても一緒に山に登ったこともある。警察官として定年まで働き、太りぎみだった貫禄は見る影もなかった。穏やかな目には盛年期の力はない。
 入れ替わり立ち替わり話を交わす。
 高校教員を定年退職後も、一貫して日韓友好の市民運動をしていている石井君は、自分のつくっている短信の印刷物をくれた。「ちぬのうらわゆ通信」、ちぬは大阪の泉南地方の古名、ちぬの海岸からの通信というのは、手づくり印刷で、文字があまりに小さいのでその場では読めなかった。家に帰ってから読むと、彼の行なっている日韓友好活動がつづられていた。昨年、ソウルで行なった演奏会の記事に、韓国の人の感想文が載っている。
 「こんなふうに日本の方々が公演することをうれしく思います。さまざまな日本の歌と韓国の歌を歌ってくれてありがとう。東日本大震災原子力の被害にたいする祈り、とても共感しました。平和を願い、人類の未来をともに悩み、努力する姿は、日本、韓国、東アジアの人びとの心です。」
「人間――人と人の間
 音楽――その間を流れる川
 関係――おれはお前だ、お前はおれだ
 韓国と日本人の出会いに乾杯!」
「きまじめな日本の方々と、よい韓国の人びととの出会い、いい人びとのいい公演でした。これからもさらなる発展を。」
「韓国人ではない日本人として、韓国の伝統楽器を演奏する姿を見て本当に感動しました。」
 石井君は、教職の時代に育んできた活動をいまも継続している。彼は話のなかで、日本の現代の情況をこう言った。
「情況は、よりはっきりしてきたということです」
憎悪の言葉(ヘイトスピーチ)を発してデモをする人たちがいる。この人たちの思想や人格はいったいどこから生まれてきたのかと、それを胚胎する日本の潮目をいぶかりもするが、彼は現代の世相の複雑化というよりも、現代の矛盾が鮮明に姿を現してきたととらえていた。
 文明評論家の新船君は、実際にそのデモの現場を見てきた体験を沈うつに語った。
「ことは、簡単ではない」
と。日本の「国民」の姿、市民運動の情況を憂える声は低くくぐもっていた。
里中さんとも坪井君とも、もっと話したかったができなかった。同窓会というお祭りのなかでは、やあやあ、ようよう、元気かい、どうしてる、一度遊びにおいでよ、で終わってしまう。
 同窓会に出席できなかった高君とは、翌日、梅田の紀伊国屋書店で待ち合わせして、喫茶店でゆっくり話すことができた。彼は「自由ジャーナリストクラブ」に所属し、ノンフィクション作家として活動している。最近出版した「ルポ 在日&在外コリアン」(解放出版社)をお土産にくれた。
 信州に帰ってから、ああ、あの人と話さなかった、あの子に声をかけ忘れたと、ぽろぽろ気づいて、4時間も同窓会の席にいて何をしていたのかと思う始末だ。