日本は夢の国ではなかった


 昨日、今年の初音(はつね)を遠くで聞いた。今日は2回目の声を近くで聞いた。今年もやってきたカッコー。
 ツバメがやっと家近くまで来た。隣家の軒下に飛び込んでは飛び出し、巣の場所をさがしている。だが、うちの特設巣箱をのぞきにきた様子がない。来いよ、来いよ、いい巣だよ。天気は夏日、気温はぐんぐん上昇し、30度を超えた。
 昨日の夕方、バイトをしながら定時制高校に通っているノブから、日曜夜の日本語教室へ行けないので、月曜日に教えてほしいと電話があった。指導メンバーで相談して、月曜日午前にOさんが公民館におもむいてマンツーマンで教えることになった。教える内容は、高校教科書の教材に出てくる漢字である。ノブの父方祖父母は日本の農業移民、ノブはパラグアイから日本永住を希望してやってきて、一人暮らししながら未来を切り開こうとしている。月曜日の午前はOさんが指導するが、その後はどうするのか気になったので、昼前に用件を済ませ公民館に寄ってみた。公民館のロビーで二人は向かい合って勉強している。
 「午後、どうする?」
 O さんは午後は別の用事がある。ノブはどうしたい?
 「今日は仕事が休みなので勉強したい」
 「じゃあ、ぼくが来るよ」
 そうして、1時から3時まで、教えた。
 先日、日本語教室のときにノブが言っていたことが気がかりだったから、勉強が終わってそのことを聞いてみた。
 「この前、ノブは日本に期待を持ってやってきたけど、日本に来てがっかりすることがあった、と言ってたねえ、あれどういうこと?」
 ノブは話しはじめたが、なかなかうまく説明できない。あれこれ聞いていくうちに、なんとなく察することができたのは、日本社会で生きていく困難さだった。彼は中卒で仕事に就こうとした。しかし仕事がない。日本語が充分できない。会話は何とかできるが漢字は読めない書けない。身体も頑健ではない。結局コンビニのアルバイトにやとってもらった。アパートに住んで一人暮らししながらコンビニで働くが、将来どうするという悩みが出てきた。やっぱり手に職をつけなければ、未来はない。そこで、定時制高校に通うことにした。今高校のクラスメイトは20人いる。ところが、その人たちはほとんど勉強の意欲がない。まともに勉強しているのは、自分ともう一人だけ。その一人とも、心を通わせる関係になれず、みんなと親しい友だちになれない。
 ノブは、人間関係の希薄さを日本人の性格ではないかと思っている。
 「日本人の性格がこうだとは言えないよ。日本人でもいろいろだからね。ぼくの感じでは、ノブはすごく日本人らしいし、日本的な性格に見えるよ。」
 それはそうだとノブも言う。ノブは言葉も行動も考えも控えめな感じがする。
 「ノブも心を開いて、自分のことをしゃべって、接していかないと本当の友だちになれないと思うねえ」
 でも、今のような不安定な仕事や暮らしだから、精神的にも不安定で孤独なのだ。もう一人ノブの親族の青年がパラグアイからやってきていた。彼はパラグアイの小中学校と日本人学校の両方に通っていたので日本語は上手だった。しかし仕事が見つからない。彼はノブのように永住を考えず、稼いだらパラグアイに帰りたいと思っている。結局彼の就いた仕事は解体業だった。今愛知県で働いている。金を得ても、技術や資格、日本の文化教養から得るものはどれほどのものか。心配なのは危険な仕事に従事しはしないかということだ。ノブの幻滅は、そういう日本の暗さ、現実なのではないかと思う。