{詩の玉手箱}  暴政者は賢い?


          或る暴政者の墓碑銘
                  オーデン

そりゃあ 或る種の完全なら、あいつだって求めたのさ、
それにあいつの発明した詩なんぞも、とっても解りやすくって、
人間の馬鹿さ加減なら、手の甲のように知ってたし
陸軍と海軍には、ひどく関心をもっていた、
あいつが笑うと、しかつめらしい元老たちも どっと笑ったし、
あいつが泣き出すと、小さい子どもらが往来で死んだ。
                      (深瀬基寛訳)


 「あいつ」とは「暴政者」だが、独裁者だけでなく、選挙で選ばれて、むちゃくちゃな権力政治を行なうものもいる。
1970年ごろに出版された、大岡信関根弘吉本隆明による「詩の教室 外国の現代詩と詩人」(飯塚書店)に、この詩は掲載されていた。その時代の日本と世界が背景にあり、解説に次のようなことが述べられている。

太平洋戦争開戦前後のころ、ひとりの日本の新聞記者が、ヒトラーに直接会うことができ、そのときの会見記を日本に送ってきた。そのなかに次の文があった。
ヒットラーの掌は温かくやわらかく、女のように優しかった!」
また、ある女性の詩人が、
ナチスドイツや、ファシズムイタリアは、泥棒も乞食もいない天国だった。」
と感想をもらした。
 日独伊の三国は、第二次世界大戦のときは同盟を結んでいた。だから、戦時中のできごとは同盟国の人間としての評価になるのだろう。が、この詩でオーデンが衝いているのは、「暴政者」はいつもそれ相当の人間通である点である。「暴政者」は、非凡な才能をもっている。人間の心理を手に取るように知っている。優しい心ももっている。だから、「あいつが泣き出すと、小さい子どもらが往来で死んだ」ほどだ。
オーデンは、この世で「暴政者」と言われている人は、ほんとうは非凡であり、人間の心に通じていて、優しい立派な人格をもっていたということを言いたかったのではなく、現代の「暴政者」たるものは、非凡な実力者であり人格者であるから「悪」である、と言っている。現代では、社会のメカニズムが人間の心をおしつぶそうとする。そういう時代では、本当の人間らしい心をもった人は、自分の良心をごまかさないではいられない。「すぐれた人間」「りっぱな人間」という振る舞いも、自分をごまかさざるをえない。ほんとうに人間らしく正直であれば、社会悪に対して、いらだたざるをえないではないか。
そして、著者はこう書いている。
「政治家に詩作の才能がないわけではありません。『憲法改正の歌』を作った代議士を思い出されもします。『憲法改正の歌』は、オーデンが書いているように、とっても解りやすくて、人間の馬鹿さ加減なら手の甲のように知っていたし、陸軍と海軍にはひどく関心を持っていた、ということでそっくりあてはまるでしょう。再軍備するために憲法を改正しようという歌なのですから。」
憲法改正の歌』は、中曽根康弘作詞、明本京静作曲の歌である。1956(昭和31年)に発表された。歌詞は5番まであり、最後の5番はこういう歌詞である。

5、この憲法のある限り 無条件降伏 続くなり
    マック憲法 護れとは マ元帥の 下僕なり
    祖国の運命 拓く者 興国の意気に 挙らばや

独裁、暴政、圧政、反民主、いろいろな形をとりながら、「りっぱな政治」が大手を振っている。
 それにしても、ソ連が崩壊後、ロシアではスターリンの像が打ち倒されたが、今またそれを復活しようとする動きがあり、再建を阻止しようとする人たちとの間で確執が起きていると言う。